なぜ「カートレイン」廃止された? 夜行列車で愛車と移動出来た「カーフェリーの鉄道版」 衰退の一途辿った理由とは
「カーフェリー」のように、クルマと人を一緒に運んでくれる「鉄道」がかつて日本にもありました。廃止されてしまった意外な理由について紹介します。
カーフェリーの鉄道版!? クルマごと運ぶ「夜行列車」があった時代
かつて日本では、1985年から1999年までクルマと人を鉄道で運ぶ「カートレイン」というものが全国各地に点在しました。
現在でもクルマを船で運ぶ「カーフェリー」は存続していますが、なぜカートレインは廃止されたのでしょうか。
クルマと一緒に船に乗るカーフェリーは、例えば夜間に港から乗船して、翌朝到着の際にクルマとともに降りれば、ハンドルを握らずに数百キロの移動ができるため、首都圏を発着する北海道ドライブなどでたいへん重宝します。
一方で、フェリーの航行速度はおおむね25ノット前後(時速約45km/h)のため、移動に時間がかかるという難点もあります。
日本の鉄道でも同様のサービスを行えば、もっと早くクルマと目的地に着けて便利なのに……と思った人もいるのではないでしょうか。
しかし2022年現在、日本の鉄道では、それに類する列車の運転は行われていません。ではなぜ「カーフェリーの鉄道版」は存在しないのでしょう。
結論からいえば、かつては、人とマイカーを同時に運ぶ列車が走っていました。
それが「カートレイン」で、まさにカーフェリーの鉄道版でした。
カートレインのデビューは1985年7月。東京の汐留駅(のちに恵比寿駅、さらに浜松町駅に変更)と、福岡県北九州市の東小倉駅間で臨時列車として運転を開始しました。
クルマを載せる貨車と、乗客が乗る客車(寝台列車のいわゆる「ブルートレイン」)を併結した列車を、電気機関車が牽引しました。
カートレイン用の貨車は最高時速100km/h対応で、かつ当時貨物列車のコンテナ化で余っていたワキ10000形有蓋車(ゆうがいしゃ:屋根で囲まれたタイプの貨車)を用意。有蓋車には「囲い」があるため、載せたクルマを汚さずに運べるメリットもありました。
ワキ10000形は、カートレイン用にガソリン漏れ対策として連結面に通気口の設置を行い、客車と連結できるよう、配管などの変更を実施。
屋根を支える支柱の本数を減らすなどして、パレットに載せたクルマを1両あたり3台積むことができました。
客車は、こちらも余剰車となっていた「ブルートレイン」20系寝台客車のA寝台車(通常のB寝台に対し広い寝台をもち、料金体系としては座席車のグリーン車に相当するクラス)ナロネ21形と、照明や冷房の電源を供給する電源車 カヤ21形を使用しました。
運転開始当初は、ワキ10000形4両にナロネ21形2両+カヤ21形の7両編成。万が一クルマが燃えてしまった場合に貨車をすぐ切り離せるよう、貨車の連結位置は必ず列車後部とされていましたが、これは後年までルールとして徹底されました。
日本のカートレインは手間が掛かりすぎ。ドーバー海峡のような、客が自走でそのまま積み込むタイプじゃないと。なんで専用化してるのにこんなアホみたいな積み込む方法なのか。フェリーを見てもわかる通り無駄が多すぎ。
年を取り、全国行脚。。。。
時間はいくらでも有る我々にはコスト。。。
のんびり下道で、、、
このストーリー見た後に思い浮かべてます。
年金生活者より
もう、飛行機+レンタカーの時代です。
夜行列車が、俺のクルマで、と言った手段に重きを置く(形から入る)のは昭和の発想です。
多くの人にとって、見たいもの、体験したい事が目的で、移動はその手段でしか無いからです。
もう、飛行機+レンタカーの時代です。
夜行列車が、俺のクルマで、と言った手段に重きを置く(形から入る)のは昭和の発想です。
多くの人にとって、見たいもの、体験したい事が目的で、移動はその手段でしか無いからです。