なぜ「カートレイン」廃止された? 夜行列車で愛車と移動出来た「カーフェリーの鉄道版」 衰退の一途辿った理由とは
好調なカートレインが衰退! 意外な理由は「3ナンバー車の流行」!?
前述のように、カートレインは複数列車が運転されるほどに発展しました。
そのため元祖カートレインは1988年「カートレイン九州」に改称。客車も、1993年からは14系寝台客車にスイッチしています。
A寝台からB寝台へとサービスは下がりましたが、B寝台化で定員は増加し、寝台料金も下がりました。
しかし、カートレイン九州とカートレイン名古屋は1994年に、カートレイン北海道は1997年に廃止されてしまいました。
その後、JR北海道のみが「カートレインくしろ」「カートレインさっぽろ」という道内で完結する列車を走らせて、カートレインの利便性をアピールしましたが、その奮闘むなしく1999年にすべて運転を取りやめてしまいました。
カートレインが廃止されてしまった理由はいくつかあります。そのひとつが、「クルマの変化」です。
1989年に自動車税制改正が行われ、それまで8万円超だった3ナンバー車の税金が大幅に安くなりました。その結果、クルマ全体の大型化が進行。
それまでカートレインで十分に運べたクラスの三菱「ギャラン」や、マツダ「カペラ」の後継車も「クロノス」などの3ナンバーに移行してしまったのです。
さらに1990年代半ばからは、車体が大きく背の高いミニバンやSUV(当時はRVやライトクロカンと呼ばれていた)も台頭を始めており、パレットに載らない車種が次第に増えていきました。
そのほかにも、国鉄が民営化してJR各社が発足したことも、廃止の契機となりました。
JR各社はカートレインが運転されるキロ数に応じ、運賃の配分を受ける決まりを作ったのですが、JR九州区間は下関から東小倉間という短区間。
そのため運賃収入が少なく、JR九州がカートレイン九州の運転継続には乗り気ではなかった、と一説ではいわわれています。
日本のカートレインは手間が掛かりすぎ。ドーバー海峡のような、客が自走でそのまま積み込むタイプじゃないと。なんで専用化してるのにこんなアホみたいな積み込む方法なのか。フェリーを見てもわかる通り無駄が多すぎ。
年を取り、全国行脚。。。。
時間はいくらでも有る我々にはコスト。。。
のんびり下道で、、、
このストーリー見た後に思い浮かべてます。
年金生活者より
もう、飛行機+レンタカーの時代です。
夜行列車が、俺のクルマで、と言った手段に重きを置く(形から入る)のは昭和の発想です。
多くの人にとって、見たいもの、体験したい事が目的で、移動はその手段でしか無いからです。
もう、飛行機+レンタカーの時代です。
夜行列車が、俺のクルマで、と言った手段に重きを置く(形から入る)のは昭和の発想です。
多くの人にとって、見たいもの、体験したい事が目的で、移動はその手段でしか無いからです。