なぜ「カートレイン」廃止された? 夜行列車で愛車と移動出来た「カーフェリーの鉄道版」 衰退の一途辿った理由とは

好調なカートレインが衰退! 意外な理由は「3ナンバー車の流行」!?

 前述のように、カートレインは複数列車が運転されるほどに発展しました。

 そのため元祖カートレインは1988年「カートレイン九州」に改称。客車も、1993年からは14系寝台客車にスイッチしています。

 A寝台からB寝台へとサービスは下がりましたが、B寝台化で定員は増加し、寝台料金も下がりました。

カートレイン北海道のワキ10000形に収まった三菱「パジェロ」。この2代目パジェロのロングボディの全長は4656mmだが、背面スペアタイヤは全長に含まれない。そのため、写真を提供していただいた方によると、スペアタイヤは外して車体の下に置いたとのこと(画像提供:UAフィンガー氏)
カートレイン北海道のワキ10000形に収まった三菱「パジェロ」。この2代目パジェロのロングボディの全長は4656mmだが、背面スペアタイヤは全長に含まれない。そのため、写真を提供していただいた方によると、スペアタイヤは外して車体の下に置いたとのこと(画像提供:UAフィンガー氏)

 しかし、カートレイン九州とカートレイン名古屋は1994年に、カートレイン北海道は1997年に廃止されてしまいました。

 その後、JR北海道のみが「カートレインくしろ」「カートレインさっぽろ」という道内で完結する列車を走らせて、カートレインの利便性をアピールしましたが、その奮闘むなしく1999年にすべて運転を取りやめてしまいました。

 カートレインが廃止されてしまった理由はいくつかあります。そのひとつが、「クルマの変化」です。

 1989年に自動車税制改正が行われ、それまで8万円超だった3ナンバー車の税金が大幅に安くなりました。その結果、クルマ全体の大型化が進行。

 それまでカートレインで十分に運べたクラスの三菱「ギャラン」や、マツダ「カペラ」の後継車も「クロノス」などの3ナンバーに移行してしまったのです。

 さらに1990年代半ばからは、車体が大きく背の高いミニバンやSUV(当時はRVやライトクロカンと呼ばれていた)も台頭を始めており、パレットに載らない車種が次第に増えていきました。

 そのほかにも、国鉄が民営化してJR各社が発足したことも、廃止の契機となりました。

 JR各社はカートレインが運転されるキロ数に応じ、運賃の配分を受ける決まりを作ったのですが、JR九州区間は下関から東小倉間という短区間。

 そのため運賃収入が少なく、JR九州がカートレイン九州の運転継続には乗り気ではなかった、と一説ではいわわれています。

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