なぜ「カートレイン」廃止された? 夜行列車で愛車と移動出来た「カーフェリーの鉄道版」 衰退の一途辿った理由とは

好評を受け「カートレイン北海道」など複数区間での運転を開始

 春・夏・冬の臨時列車として運転をスタートしたカートレインは、行楽・帰省に用いるマイカーユーザーに好評を持って受け入れられました。当時は指定券の確保が困難だったほどです。

 そこで1985年12月には両数を増やし、貨車7両・A寝台車3両体制に。

 さらに1987年からは、途中の広島駅で乗降を可能とするために、同駅発着の貨車を2両増結することに。その結果、貨車9両・寝台車3両・電源車1両の13両で組成するようになりました。

写真は「カートレイン九州」。牽引機は、ブルートレインの機関車としてもお馴染みEF65PF形。カートレインでは機関車の次位に必ず客車が連結される(画像提供:毘牙憂螺氏)
写真は「カートレイン九州」。牽引機は、ブルートレインの機関車としてもお馴染みEF65PF形。カートレインでは機関車の次位に必ず客車が連結される(画像提供:毘牙憂螺氏)

 1985年7月時点での時刻は、下りが汐留18:25発、北九州・東小倉10:15着。上りが東小倉18:05発、汐留10:18着。途中、乗客が乗降可能な停車駅はなくノンストップです。

 座席は全席指定で、運賃はクルマ1台・大人2人・子供2人の場合、合計約6.8万円でした。

 当時の東京から小倉間の新幹線移動が大人2人・子供2人で約6万円かかったことを思うと、カートレインはとてもリーズナブル。人気が出たのもうなずけます。

 当初、東京と九州の間のみの運転だったカートレインは、その好調ぶりから、1986年に中京エリアと九州(熱田駅ー東小倉駅)を結ぶ「カートレイン名古屋」を新設。

 クルマを積む車輌を、パレットを乗せられる荷物車マニ44形に変更したほか、客車に欧風のジョイフルトレイン「ユーロライナー」を用いていました。

 そのためマニ44形も、ユーロライナーとあわせた白+青帯をまとう凝り様でした。

 1988年には青函トンネルが開通。本州と北海道が鉄路で結ばれたことを受け、恵比寿駅(のちに浜松町駅に変更)と白石駅(北海道札幌市)間で「カートレイン北海道」の運転がスタートしました。

 編成は、ワキ10000形9両+24系25形寝台車4両。こちらはB寝台車オハネ25形3両+電源車カニ24形)の13両でした。

 なおカートレインにクルマを積む際は、パレットに自走で載ったあと車輪をロックして動かないようにして、そのパレットをフォークリフトで貨車に積み込むために手間がかかりました。

 積めるクルマには、全長4670mm×車幅1700mm×車高1985mm以下というサイズ制限があったため、5ナンバー規格いっぱいの全長4695mmのクルマも積めませんでした。

 また、カートレイン北海道利用時には、青函トンネルの安全規則で石油製品の輸送量制限があったため、積み下ろしの移動に支障がない程度までクルマから燃料を抜く必要がありました。

 その際は、積み込み駅近隣の指定ガソリンスタンドに立ち寄るよう指示がされていました。

【画像】夢過ぎる! 「ブルートレイン」と愛車の旅が楽しめた80年代から90年代当時の貴重な写真を見る(13枚)

【アンケート】ご職業に関する調査にご協力をお願いします

画像ギャラリー

1 2 3 4 5

【無料セミナー】「自動車DXサミット vol.3」 三菱ふそう KTC マツダ登壇 Amazonギフトカードプレゼント

【NEW】自動車カタログでスペック情報を見る!

最新記事

コメント

本コメント欄は、記事に対して個々人の意見や考えを述べたり、ユーザー同士での健全な意見交換を目的としております。マナーや法令・プライバシーに配慮をしコメントするようにお願いいたします。 なお、不適切な内容や表現であると判断した投稿は削除する場合がございます。

4件のコメント

  1. 日本のカートレインは手間が掛かりすぎ。ドーバー海峡のような、客が自走でそのまま積み込むタイプじゃないと。なんで専用化してるのにこんなアホみたいな積み込む方法なのか。フェリーを見てもわかる通り無駄が多すぎ。

  2. 年を取り、全国行脚。。。。
    時間はいくらでも有る我々にはコスト。。。
    のんびり下道で、、、
    このストーリー見た後に思い浮かべてます。

    年金生活者より

  3. もう、飛行機+レンタカーの時代です。
    夜行列車が、俺のクルマで、と言った手段に重きを置く(形から入る)のは昭和の発想です。
    多くの人にとって、見たいもの、体験したい事が目的で、移動はその手段でしか無いからです。

  4. もう、飛行機+レンタカーの時代です。
    夜行列車が、俺のクルマで、と言った手段に重きを置く(形から入る)のは昭和の発想です。
    多くの人にとって、見たいもの、体験したい事が目的で、移動はその手段でしか無いからです。

メーカーからクルマをさがす

国産自動車メーカー

輸入自動車メーカー