モータースポーツ発の極限AT「GR-DAT」はいかにして生まれたのか? 開発パートナー アイシンの熱き挑戦と、次世代スポーツATへの道【PR】
GRヤリスやGRカローラに搭載され「MTと同等に戦える」と話題の8速AT「GR-DAT」。圧倒的な変速スピードはいかにして生まれたのか? 開発を担ったアイシンの歴史と、極限のモータースポーツで鍛え上げられた技術の裏側に迫ります。
鉛筆と執念でつかんだATの夜明け

アイシンの歴史は古く、1965年に「愛知工業」と「新川工業」の合併により生まれた総合自動車部品メーカー「アイシン精機」がスタートです。
ATは愛知工業時代にトヨタからトヨグライド(日本初のトルコン式AT)の生産移管がスタートでした。

その後、トヨタから開発を移管されますが、大きな転機は1969年、アメリカのボルグワーナー社との合弁です。

開発で最大の障壁となったのはボルグワーナー社が持つ膨大な特許でした。「特許を回避しながらの開発は不可能」と判断したアイシンは、AT普及への強い意思から1969年にアメリカの部品メーカーであるボルグワーナー社との合併会社「アイシン・ワーナー」を設立します。
アイシン・ワーナー設立後、イギリスの研究所で設計された次世代ATを日本で生産することになりましたが、ワーナー側からは何も教えてもらえず……。

そこでアイシンの技術者は渡英時にパーツを前に「鉛筆で型を取り、寸法を測る」という執念で設計データを持ち帰ったといいます。「自分たちの技術にする」という強い思いがあったのでしょう。このデータが後の自社開発ATに大きく役立ったと言います。
絶対に諦めない! 品質の自信を体現した「2000台全数検査」
1972年には、独自設計の3速ATが登場します。この時、当時のアイシン幹部である諸戸脩三氏が「2000台全数検査」を発案。それは「新会社の初めての新製品を成功に導くためには、万全な品質で立ち上げなければならない」という強い思いによるものでした。

アイシンはこれをやり遂げたことで、その品質の良さが認められ、ボルボへの供給もスタート。「世界のアイシン」の基礎が築かれた瞬間でした。
その後、ATは多段化・電子制御化の道を歩んでいきます。

中でもFFはスペースの問題で多段化が難しいと言われていました。
カローラがFF化する際、トヨタから「カローラはスペースの問題で3速が限界」と言われていました。しかし、アイシンの技術者は「世界戦略車であるカローラにこそ、燃費と静粛性に優れた4速ATが必要」と、若手からベテランまでが一丸となってこの難題に挑み、2階建て構造(カウンターシャフト式)を考案しました。
これにより劇的な全長短縮を実現し、狭いエンジンルームへの4速AT搭載を可能にしました。それが1983年に登場したFF4速AT(AW-Z)です。

異能なエンジニアが本社から離れて東京・秋葉原でしたこと
この頃、アイシンはある決断します。それは「ATの次に来るモノは何か?」と言う単純な探求心からでした。そこで1985年に東京・秋葉原に設立されたのが「エクォス・リサーチ」でした。ここには社内から「尖(とが)った才能」を持つエンジニアが数名招集され、自由な研究体制が敷かれました。

この“異能”のエンジニアたちは、クルマを意思の通じ合う「馬」のように進化させようと、150以上の研究を重ねました。この時の「提案型開発」という姿勢が、現在のハイブリッド技術やナビ、そして走りの良さへとつながっています。
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2000年代に入ると、同社の製品は欧州のアウディやVWにも採用され、現地の要望にすぐ応える体制を整えました。「言うべきことははっきり言う」という信頼関係を築き、単なる部品メーカーではない「開発パートナー」としての地位を確立したのです。



































































