愛知~静岡「無料で信号ゼロ」ついに完成! 新バイパス「名豊道路」全通のスゴさとは!? 実際に走って見えてきた「意外な課題」も
2025年3月8日、愛知県の主要都市を結ぶ国道23号バイパス「名豊道路」が、構想から約半世紀の歳月を経てついに全線開通しました。“夢の道路”とも呼ばれたこの大動脈は、地域に何をもたらすのでしょうか。その全貌に迫ります。
半世紀の夢実現! 物流と生活を変える愛知の大動脈
2025年3月8日、愛知県の主要都市を結ぶ国道23号バイパス「名豊道路」が、構想から約半世紀の歳月を経てついに全線開通しました。“夢の道路”とも呼ばれたこの大動脈は、地域に何をもたらすのでしょうか。その全貌に迫ります。

2025年3月8日、愛知県の名古屋市と豊橋市を結ぶ大動脈、国道23号バイパス「名豊道路」が待望の全線開通を迎えました。
最後の未開通区間であった「蒲郡バイパス」の一部、蒲郡IC(インターチェンジ)から豊川為当IC間の9.1kmが接続されたことにより、事業開始から約50年という長い年月をかけた壮大なプロジェクトがついに完成しました。
開通の瞬間、国土交通省中部地方整備局名四国道事務所はSNSで「半世紀の夢、つながる!」と発信し、多くの期待と祝福の声が寄せられました。
名豊道路は、愛知県豊明市の豊明ICを西側の起点とし、同県豊橋市東細谷町の豊橋東ICを東側の起点とする、総延長72.7kmの地域高規格道路です。
道路法上は国道23号の一部ですが、既存の国道23号現道とは別に建設されたバイパスであり、信号のない立体交差を主体とした設計です。
西から「知立バイパス」、「岡崎バイパス」、「蒲郡バイパス」、「豊橋バイパス」、「豊橋東バイパス」という5つのバイパス道路が連続する形で構成されており、無料で通行できます。原則として4車線で計画されていますが、一部区間は暫定2車線での供用となっています。
その歴史は古く、1964年に「第2東海道計画」の一環として調査が開始され、1966年には基本的なルートや構造などの構想が確立されました。最初の事業化は1972年の「知立バイパス」で、1977年にはその一部が初めて開通しました。
その後、各バイパスが順次事業化・建設され、1989年に知立バイパスが全線開通し、2007年には「岡崎バイパス」、2012年には「豊橋バイパス」、2013年には「豊橋東バイパス」がそれぞれ全線開通を果たしました。最後に残った「蒲郡バイパス」も、2014年に西側区間(蒲郡IC~幸田芦谷IC)が開通し、今回の東側区間(豊川為当IC~蒲郡IC)の開通によって、半世紀にわたる建設史に終止符が打たれました。
名豊道路の全線開通による最大の効果の一つが、移動時間の大幅な短縮です。これまで一般道(国道23号現道など)を利用した場合、名古屋~豊橋間は約2時間かかっていましたが、信号のない名豊道路を利用することで、これが約50分も短縮されると試算されています。さらに、豊橋市から名古屋市内までの所要時間も約1時間となり、利便性は格段に向上しました。
また、東名高速道路や新東名高速道路のインターチェンジから離れていた豊橋市や蒲郡市といったエリアのアクセスも改善され、浜松方面への移動時間も約1時間半近く短縮可能になるとされています。
時間短縮は、地域経済にも大きな恩恵をもたらします。特に、自動車産業が集積し、輸出入拠点港である「三河港」へのアクセス向上は重要です。名豊道路と三河港が直結されたことで物流の効率化が進み、関連工場の立地も増加傾向にあります。
実際、名豊道路の整備開始以降、沿線地域の製造業における従業者数は全国的な減少傾向に反して約4割増加しています。トラック輸送においても効率が上がり、例えば豊田市から三河港への輸送では、1日あたりの往復回数が2回から3回に増えると見込まれ、物流業界の「2024年問題」解決の一助となる可能性も指摘されています。
経済効果は物流面に限りません。信号のないバイパス走行は燃費改善にも繋がり、二酸化炭素排出量の削減(蒲郡バイパス新設区間で年間約2万トンの削減を試算)や、燃料コストの削減(大型トラック往復500kmで約2千円の削減を試算)にも貢献します。さらに、名古屋方面や浜松方面から、蒲郡や渥美半島などの観光地へのアクセスが向上(約20分短縮)することで、観光による交流人口の増加も期待されています。
加えて、災害時には広域支援ルートとしての機能も担います。内陸部を高架橋主体で建設され、耐震性も考慮されているため、南海トラフ地震などの大規模災害発生時には、緊急輸送路として重要な役割を果たすと想定されています。
まずは欠陥道路と断言します。通行車両の想定が低すぎ。接続道路との利便性が悪い。