川口JCTにある謎の行先「東領家」って何だ!?「どこにある?」「いつも気になる」の声も “マニアック地名”が高速看板に採用された「納得の理由」とは
東北道の都心方面の案内看板に、「↑銀座 東領家」という表示があります。聴き慣れない「東領家」には一体何があって、なぜこの地名を採用しているのでしょうか。
東北道「川口JCT」案内板にある謎の地名
東北道の都心方面の案内看板に、「↑銀座 東領家」という表示があります。
銀座はともかく「東領家」という地名は聴き慣れません。東領家には一体何があって、なぜこの地名を採用しているのでしょうか。

東北道から都心へ向かう場合、川口JCTからそのまままっすぐ直通して、首都高川口線を南下していくこととなります。
その川口JCTの手前に、この「銀座 東領家」という案内表示があります。
銀座という地名は全国区なので、「真っすぐ進むと都心へ行くんだな」と分かります。しかし東領家はそうはいきません。カーナビでもこれを踏まえて音声案内するのですが、知らない人には「どこ?」となるかもしれません。
ネット上でも「永遠の謎」「そんな地元に住んでる奴しか分からんような地名出されてもどのあたりだかわかんねーよランキングに入る」「高速の案内でしか見ないし聞かないけどどこにあるんだろ。異世界?」「東北道から帰るときいっつも気になる」「どこやねん東領家って」といった声が見られます。
この「東領家」自体は、直通先の首都高川口線にある出入口のひとつです。川口JCTを過ぎて、新井宿・安行・新郷・足立入谷・加賀を経て「6駅目」に位置します。都心方面行き(上り線)の出口のみ、というミニマルな構造です。
東領家は埼玉県川口市に属していますが、東京都との都県境に位置し、足立区とのつながりも強い地域です。最寄り駅は埼玉高速鉄道の「川口元郷駅」もしくは日暮里・舎人ライナーの「舎人公園駅」で、いずれも1.5kmほど離れています。
明治時代は「南平柳村」に属し、1933年に合併して川口市となり現在に至ります。
「領家」というのは、平安時代後期~鎌倉時代に存在した身分で、土地を開発したあとに、開発者から寄進を受けて貴族や寺社などが領主となったものです。
鎌倉時代になると「地頭」として武士が地方自治に任命されましたが、もともと同じことを領家が務めていたので、地頭が領家に職務を委託したり、地頭が領家の支配をどんどん奪っていくなど、各地でトラブルや権力交代が起きていきました。
そうした背景で、地域によっては土地が「地頭派」「領家派」に分かれていることもあり、地名にも反映される場合があります。旧北足立郡でもかつて多数の「領家村」という名の自治体があったことに、複雑な歴史事情が現れています。
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