「2ドアセダン」なぜ減った? かつては「主力」も今ではほぼ消滅! 昭和の“謎”ボディタイプとは何だったのか
えっ! 1つの車種で4つの「2ドア」があったケースも!?
しかもややこしいことに、「カローラ」「サニー」「ダットサン ブルーバード」「ファミリア」、いすゞ「ベレット」などには、2ドアセダンのほかに、スタイリッシュでパーソナル感を高めた「2ドアクーペ」が同時に設定されていた時期もありました。
極端な例を見ると、1974年にデビューした3代目「カローラ」では、2ドアセダン、4ドアセダン、2ドアハードトップ、2ドアリフトバック、2ドアクーペという、5種ものボディバリエーションが用意されていたほど。
実に5分の4が2ドア車となっていたのです。
バリエーションの多さで商品力を高めた時代だとしても、もはや、なんのためにそこまで作り分けていたのだろう、とさえ思います。
2ドア車が絶滅種となった現在では考えられないことです。
しかし当時の街中には、たしかに数え切れないほど、スポーツカーではない「ふつうの2ドア車」があふれていました。
しかも、「カローラ」「スプリンター」の2ドア車(もしくは3ドア車)といえば「レビン/トレノ」ですが、この頃はまだ2ドア車の一部に与えられていたスポーツグレードの扱いでした。
それ以外の2ドア車は、多少のスポーティイメージや、パーソナル感は付与されていたにせよ、ごくふつうのグレード扱いだったのです。
その流れは、かの「ハチロク」ことAE86を擁する5代目「カローラ/スプリンター」まで続きました。
この代では、2ドア車(3ドア車)すべてが「レビン/トレノ」と名乗っています。
現在では、最高出力130psを発生する「4A-G」型エンジンを積むAE86といえば、小型スポーツカーの代名詞ですが、一方で最高出力約85psの実用エンジン「3A-U」型を積む廉価版(いわゆる「AE85」)も販売されていました。
グレード名も「SE」「GL」「XL」など、セダン系と同じ。しかも女性向けの「ライム/リセ」というグレードまで存在したほどです。
それを、ご婦人がふつうに街中を運転していたのです。現在の軽自動車のように!
いかに当時は、2ドア車がごく当たり前のようにカタログに載り、購入されていたのかがわかります。
むしろ、当時2ドア車に乗っていた人の中には、2ドアが不便なのは当然なので、「あまり不便と思わなかった」という人も多かったかもしれません。
「2ドアセダン」という言い方は、昭和50年代に死語になっていたな~ 使ったことない
510のブルーバードは2ドアセダンとクーペの違いがあまりわからなかった。
北米向けに2ドアセダンは路上犯罪を防ぐ目的(後部にドアがあると乗り込んで来られやすい)で、一定の購入層(女性客が多い)があった。現在は集中ドアロックやドライブレコーダー、スマホ連動セキュリティーが発達し、そこまで必要はなくなった。
単純に強度の問題やドライバーの年齢層もあるだろうな。
安全を重視し強度を高めるには2ドアでも構わないけどBピラー強くしたらリアドア付けられる様になった。とか年齢層は当時はデートカーとか言われてたみたいだし、メインターゲット層が独身や夫婦だっただけ。家庭を持ち始めたら2ドアの選択肢なんて無くなるからマーケットも自然と4ドアにシフトしていった。