「2ドアセダン」なぜ減った? かつては「主力」も今ではほぼ消滅! 昭和の“謎”ボディタイプとは何だったのか

かつて昭和から平成初期に「2ドアセダン」という謎のボディタイプが存在していました。今では2ドア=スポーツカーというイメージですが、どのようなものだったのでしょうか。

ベーシックな大衆車では「2ドアセダン」が普通だった!?

 2ドア車は、現在ではめっきり姿を減らしたため、「2ドア車=スポーツカー」の図式がありますが、昭和から平成初期にかけては、スポーツカーではない2ドア車がたくさん路上を走っていました。
 
 ではなぜ、それほどに2ドア車が存在したのでしょうか。

今じゃほぼ「絶滅」!? 謎のボディタイプ「2ドアセダン」とは[写真は北米仕様のトヨタ「ターセルクーペ」]
今じゃほぼ「絶滅」!? 謎のボディタイプ「2ドアセダン」とは[写真は北米仕様のトヨタ「ターセルクーペ」]

 SUVやミニバンなど、実用性重視のクルマがメインとなった現代。しかし昭和から平成初期にかけては、4ドアセダンがクルマの基本形として主流であり、さらにその合間をぬって、多種多様な2ドア車が走っていました。

 ズバリ、2ドア車は不便です。後席への乗り降りも手間がかかり、ハッチバックやステーションワゴン、SUVほどには、大きな荷物を飲み込むことができません。

 そうしたことから2ドア車は姿を消し、現在では2ドア車=スポーツカーという図式が成り立つほどに少なくなりました。

 しかしかつては、4ドアセダン車にもごくあたりまえに2ドア車がラインナップされ、ユーザーもそれに大きな疑問を抱くこともなく、2ドア車を選択していました。

 例えば1970年代前半の日産では、セダンをベースにした2ドア車として「チェリー」「サニー」「バイオレット」「オースター」「ブルーバード」「スカイライン」「ローレル」「セドリック/グロリア」に設定しています。

 こうしてみると、ほぼすべての車種に2ドア車があったことに驚かされます。

 なお、ひとえに2ドア車といっても、純粋に2ドアで独立したトランクを持つ「2ドアセダン」や、流麗なルーフラインを持つ「2ドアクーペ」に分かれます。

 そしてリアにハッチを持つのに「2ドアクーペ」と呼ぶケースや、ドアにサッシュがなく厳密には「2ドアハードトップ」となるモデルなど、その形態は実にさまざまでした。

 そこで、これらを広義の「2ドア車」としてまとめ、さらに元来ハッチバック車として登場したクルマ、および2ドアのみが設定されたスポーティカーやスペシャリティカー、スポーツカーは今回除いて紹介することとします。

 ではなぜ以前は、2ドア車がたくさん走っていたのでしょうか。

 その理由のひとつは、前述の「2ドアセダン」です。

 セダンは4ドア、というイメージがありますが、1960年代に生まれたトヨタ「パブリカ」「カローラ」、日産(ダットサン)「サニー」など大衆セダンの多くは、まず2ドアセダンで登場し、追って4ドアセダンを追加していたのです。

 その後も2ドアと4ドアを併売する、というパターンが珍しくありませんでした。

 また、初代マツダ「ファミリア」のように、最初は4ドアのみで、価格を下げるため(もしくはスポーティイメージを出すため)に2ドア化された場合もありました。

 事実、ドアが少ない2ドア車は、4ドア車と同等の装備を持っていても価格が安くなることがあり、多少の利便性を損なっても、2ドアセダンを買うユーザーは一定数存在しました。

 参考までに、1971年の2代目「サニー 1200スタンダード」を見てみると、4ドア車は48.5万円、2ドア車は44万円でした。

 しかし2ドアセダンは、日本市場では1970年代後半から急速に姿を消しています。

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