渋谷・道玄坂の「道玄」って一体何ですか? やっぱり歴史上の偉い人物?「東京で一番有名な坂道」の名前の「意外な理由」とは
東京・渋谷を象徴する地名のひとつが「道玄坂」です。不思議な名前ですが、なぜ道玄坂と呼ばれるようになったのでしょうか。
有名な坂名 その由来は
東京・渋谷を象徴する地名のひとつが「道玄坂」です。
不思議な名前ですが、なぜ道玄坂と呼ばれるようになったのでしょうか。

道玄坂は、渋谷駅前のスクランブル交差点から、南西へ丘陵を駆け上がっていく坂です。国道246号の道玄坂上交差点が坂の頂上です。
武蔵野台地を渋谷川が深く削り取ったのが渋谷エリアで、台地上と谷底の高低差をつないで生まれた急坂が、渋谷の風景を独特なものにしています。
繁華街をつらぬくメインストリートであるほか、渋谷マークシティのバスターミナルに直結していて、高速バスも道玄坂を通行します。
ひとくちに渋谷と言えども、複雑な谷筋地形でモザイク状に繁華街が広がるため、「道玄坂」「センター街」「公園通り」などの形でエリアが細分化され呼ばれています。なかでも抜群の存在感を誇るのが道玄坂で、坂の名前でいえば東京でもトップクラスと言えるでしょう。
では、「道玄坂」という名前はいつからあったのでしょうか。渋谷区は複数の説により、16世紀周辺にはすでにこの名があったとしています。
まずは「大和田太郎道玄」という人物です。鎌倉幕府で活躍した和田義盛の系譜を継いできたとされ、没落してほそぼそと生き残っていたといいます。
このあたりは相模国を発祥とする渋谷氏の配下だった(地名の由来もこれだとされる)ものの、北条氏による関東統一の中で1524年に滅亡。行き場を失ったのか、その混乱に乗じたのか、道玄はよくこの坂へ出没して山賊のような存在で名が知られていたといいます。「あの坂はアイツがいるから気を付けろ」として伝承された結果、地名として定着したのかもしれません。
なお現地には由来を示す石碑があり、そこには考古学者の樋口清之による解説で「道玄がここに道玄庵を建てて住みついた」といったエピソードも紹介されています。
渋谷区が記載するもう一つの説にも、「道玄庵」が登場します。ここでは道玄庵は寺の名前で、徳川家康が江戸に着任した際にこの寺名から坂に名付けられたとしています。参照元は『天正日記』と呼ばれる文書ですが、信ぴょう性に疑義を唱える学者もあり、確たる説にはなっていません。
とはいえ「道玄庵という寺が由来」という説は、天保期の地理図鑑である『江戸名所図会』にも登場します。
江戸時代になると、この坂は神奈川の大山参詣のための「大山道」(現:国道246号)として主要道路となっていました。
戦後も都心から厚木方面へのメインストリートであり続け、東急の路面電車が道玄坂を中腹からのぼっていました。しかし東京オリンピックに合わせて国道246号が指定されると、南側にバイパスが完成。
主要交通は完全に国道246号「玉川通り」に移ってしまい、今や道玄坂は渋谷エリアの地域ストリートとしての存在になっています。沿線ではビルの一斉建て替え時期を迎え、集団的に街区整備を行う「再開発事業」が各所で進められています。
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