スズキ次期「カプチーノ」はあり得る? 一切の妥協なく作られた本気のスポーツカーが誕生した背景とは
スズキが本気で作った「カプチーノ」とは
そんななか、軽自動車からも驚くべきスポーツカーが登場します。最初に登場したのが、1991年5月のホンダの「ビート」でした。
これは軽自動車でありながらNSXと同じミドシップで2シーター、しかもオープンカーです。
まさに小さなスーパーカーといえるクルマでした。そして、そのわずか半年後になる1991年11月にカプチーノが登場します。
スズキといえば軽自動車が中心となっており、スポーツカーのイメージを抱きにくいかもしれません。
しかしスズキは、オートバイから自動車にきたメーカーであり、オートバイでは世界選手権にも積極的に参戦しました。
1980年代から1990年代にはホンダとヤマハと対等に戦っていたのです。スズキの人には熱いモータースポーツ大好きな人がたくさんいたというわけです。
そんなスズキが発売したカプチーノは、一切の妥協なく作られたスポーツカーでした。
このクルマのためだけに作られたFRプラットフォームに66CCの直列3気筒DOHC12バルブターボ・エンジンを搭載します。
最高出力64馬力は軽自動車の規制いっぱいで、最大トルクはNAエンジンのホンダのビートを上回る8.7kgm。アルミパーツを多用し、乗員が乗った状態で、前後重量バランス51:49を実現。
サスペンションは前後ともダブルウィッシュボーン。ルーフは幌ではなく、アルミ製の3分割方式として、ハードトップ、オープン、タルガトップ、Tトップに使い分けることが可能となっていました。
カプチーノのこうしたスペックは、スポーツカーそのものという内容です。
しかもカプチーノは、ロングノーズ&ショートデッキといった古典的スポーツカーそのものの美しいスタイルをしていました。このスタイルも大きな魅力です。
そんなカプチーノの価格は145万8000円。当時のアルトが約86万円だったことを考えれば、約1.7倍も高く、138万8000円のホンダのビートよりも高額です。
ただし、それでも約200万円のユーノス・ロードスターや200万円を超えていたトヨタの「カローラ・レビン」などよりも、俄然、身近な価格です。
そのため当然のごとく、カプチーノは人気を集めます。しかし、カプチーノの生産は手作り的な要素が多く、すぐにバックオーダーが山積みになる結果となります。
その後、カプチーノは1998年の軽自動車規格の変更に伴う衝突安全基準強化を受けて、同年に生産を終了し、約7年の短い生涯を終えました。
総生産台数は3万台に届きませんでしたが、日本だけでなく、1割ほどがイギリスとドイツに輸出されています。
カプチーノの生産が終了した1990年代後半は、日本は「失われた20年」と呼ばれる経済停滞期に突入していました。
人気はあったものの、わずか3万台弱しか売れなかったスポーツカーを新たに作るほど、スズキには余裕がなかったのでしょう。
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その後、カプチーノの後継モデルは登場していません。残念ですが、今後、カプチーノが復活する望みは、相当に薄いでしょう。
カプチーノは、まさにバブルだからこそできた一瞬の輝きだったのです。