スズキ次期「カプチーノ」はあり得る? 一切の妥協なく作られた本気のスポーツカーが誕生した背景とは
いまなお多くのファンを持っているスズキ「カプチーノ」ですが、どのような背景で製作されたのでしょうか。
スズキ「カプチーノ」ってどんなクルマ?その魅力とは
1991年に登場したスズキ「カプチーノ」は、軽自動車でFR方式のスポーツカーとして多くの人から愛され続けてきたクルマです。
そんなカプチーノは、1998年に軽自動車規格の変更に伴う衝突安全基準強化を受けて生産が終了されました。
スポーツカーは、小さくて軽いほど扱いやすく楽しい。駆動方式的に言えばフロントにエンジンを載せて後輪を駆動させるFR方式が、扱いやすく楽しいというのが筆者の考えるところです。
そうとなれば、軽自動車でFR方式のスポーツカーがあればベストとなりますが、それを実現したクルマが存在します。それが1991年にデビューしたスズキの「カプチーノ」ですが、どんなクルマだったのでしょうか。
まず、時代背景です。1991年は、昭和から平成にかわったばかりで、バブルと呼ばれた好景気の最終局面です。昭和の日本は、驚くほどの経済成長を遂げました。
戦争で焼け野原になった東京は、敗戦からわずか19年後に東京オリンピックを開催。復興を世界にアピールします。
その後、1970年代から1980年代にかけて経済はグングンと成長してゆきます。
サラリーマンの平均年収は、1970年に約87万円、1980年に約294万円、1990年に約438万円にと伸びてゆきます。10年たてば年収が1.5倍から3倍になるのが当然という認識だったのです。
そんな日本の経済成長にあわせて、クルマは憧れの存在から、徐々に身近なものとなります。また、当時の若者の憧れは高性能なスポーツカーでした。
そしてモータースポーツの人気も高く、実際に日本メーカーも世界で活躍を見せていたのです。
1980年代から1990年代にかけてF1でホンダが大活躍すれば、サファリラリーなどラリーの世界ではトヨタや日産が躍動しました。1991年には日本車として初めてマツダがル・マン24時間レースで優勝します。
景気は良いし、モータースポーツも盛り上がっている。そうとなれば売り出されるのがスポーツカーです。
1989年には、日産から280馬力規制の上限を実現した「フェアレディZ」、そして「スカイラインGT-R」(R32型)、そしてマツダからは「ユーノス・ロードスター」が発売となります。
翌1990年にはホンダからオールアルミボディでエンジンをミドシップ搭載した「NSX」が登場。三菱からも「GTO」というスポーツカーが発売になります。
そしてトヨタは1993年に満を持して「スープラ」(80型)をリリース。今も話題になるスポーツカーが数多く誕生したのが、この昭和から平成に切り替わった1990年代初頭だったのです。