なぜ人は「掛ける」と言う? 「声を、服を、エンジンを…」 何でも「掛ける」と呼ぶ不思議… 1300年代から見られる日本語的表現とは
「服を掛ける」との違いに見る、日本語の豊かさ
同じ「掛ける」という言葉でも、服を掛ける場合は物理的な動作が明確である点で、エンジンを掛ける場合とはニュアンスが異なります。
服を掛けるとは、衣服をハンガーやフックなどに引っ掛ける具体的な行為を指しますが、この場合に特に強調されるのは直接的な「置く」という感覚です。
対して、エンジンを掛ける際の「掛ける」には、何かを始める、または動作のきっかけを作るといった意味が込められています。
こうした違いを考えると、「掛ける」という言葉の意味は極めて抽象的です。
これは、日本語が言葉の文脈や使用環境に依存して意味を広げていく特徴をよく表していると言えそうです。
「掛ける」という言葉は、対象によって異なる意味を持つだけでなく、状況や時代背景にも左右される柔軟さを持ち合わせています。

たとえば、1300年代の日本語には現代ほど多くの動詞が存在しなかったとされ、少数の言葉で多様な状況を表現する必要がありました。
そのひとつとして「声を掛ける」は、1331年頃の『徒然草』にまでさかのぼることができ、非常に古くから用いられていた言葉です。
このため「掛ける」のような汎用性の高い言葉が重宝され、「電話を掛ける」「音楽を掛ける」、そして「エンジンを掛ける」など広範な意味を持つようになったものと考えられます。
「掛ける」という言葉の多様性は、日本語の奥深さと豊かさを体現していると言えるでしょう。
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エンジンを「掛ける」という表現は、1300年代の日本語の持つ奥深さと、エンジンの普及という歴史的背景が重なり合うことで形成されたと考えられます。
一方、近年ではエンジンを搭載しないクルマも増えつつあることを考えると、将来的には「エンジンを掛ける」という言葉そのものが消滅してしまう可能性もあります。
逆に言えば、電動車に特化した新たな表現が生まれるかもしれません。そうした点もふくめて、まさに現在は大きな過渡期が来ていると言えそうです。
以前も同じ記事で良記事と書いたが、リサイクル期間も長くまぁ良記事だろう。
エンジンが掛かったままの状態をクランクと『掛ける』のは無理があるかもしれない。この場合は駆け出した後の『駆け』なのかも。
期待をする場合は「君に掛かってる」とも言うが、期待の場合は博打的な賭けるが元と言ってもいいかもしれないし、君の命が掛かってるなら命懸け。『駆け』も『賭け』も『懸け』も纏めて掛けに収まったみたいな。
他にも願掛けなんてのもあるが、本来の神道は神に願いをする場所ではない。感謝をし平穏を祈る、ここに多少の願いはあってもいいが、願いがあるならそれは金を『掛けて』祈祷をしてもらうべき。
話は逸れたが、小難しい事を抜きにして掛けると言うのは人間生活にとって使いやすい言葉でありそれ以外の細かい意味なんてない言葉なのかもしれない。迷惑を掛ける・罠に掛ける・引っ掛けるとネガティブな面でも普通に使うし成り立つ言葉なので。
クランクを回す行為に『掛けた』言葉ではなく、ただ単に汎用性の高い言葉が選ばれ使われてるだけと言ったらそれまでかもしれないね。
ハイソですなー。何度も同じ様な前回と変わりばえのない内容の記事を載せて、中身は大して変わっていないのにそれを良記事とは。
確かにひらがなで書くと、すべてがかけるになるかも知れませんが、その中でエンジンを掛けるは間違いではないでしょうか?エンジンは駆けるではないかと。音読みにした場合、「エンジンを駆動する」の駆(く)であり、訓読みの駆ける(かける)
ココは”くるまの”サイトなのに言葉遊びが好きらしいが、言葉の意味するところ等の意味をないがしろにして、自己理論を展開するのが定番だ。車両関係の「かける」については、他の方の指摘に有る様に「駆動」を意味する「駆」がふさわしいと考えられる。また、電話については「架電」という単語が示すように「架」が相応しいのではないか?結論ありきの内容にしたいがためのこじつけとしか思えないのは自分だけかな。