もはや懐かしい「日通のペリカン便」どこいった!? 2010年に消滅? 意外な「統合先」とは
ヤマト運輸や佐川急便は宅配便大手として広く知られる存在ですが、こうした企業やブランドと並んでいたのが「日通のペリカン便」でした。しかし近年その名を聞くことはありません。とあるサービスと統合されたといいますが、いったいどうなったのでしょうか。
宅配便として知られていた「ペリカン便」今はいずこに!?
現在では、日常生活での商品購入手段としてネット販売が広く普及しています。それを支えているのは「宅配便」の存在です。
宅配便の大手サービスとして「日通のペリカン便」をあげる人も多いと思いますが、最近その名前を聞くことがなくなりました。なぜでしょうか。
日通のペリカン便は、日本における物流最大手のひとつで、現在は海外にも数多くの拠点を広げる「日本通運(にっぽんつううん)」が、1977年に登場した宅配便サービスです。
小荷物を発送するのは、現在ではごく簡単なことですが、宅配便が存在するまでは、個人が行うのもひと苦労なことでした。
というのも、郵便小包(現:ゆうパック)もしくは「チッキ」と呼ばれた鉄道小荷物に頼るしかなかったのです。
そのため発送したい人は、荷物を郵便局や駅まで運ぶ必要がありました。
さらにチッキの場合、自宅まで届けてもらうことはできず、荷物を受け取るには駅に行かねばなりませんでした。
1970年代に宅配便が開始されると、その便利さから80年代には急速に普及。最初に宅配便サービスを広げたのはヤマト運輸ですが、これを追うように大手輸送会社も続々とこの市場に参入し、宅配便サービスの競争が始まりました。
そのため不便だった鉄道小荷物は、1986年に姿を消しています。
このようにして開始されたペリカン便は、その後も順調にサービスを拡充。1991年には、国内航空便を用いて速達性を高めた「スーパーペリカン便」、2000年からは冷凍品の輸送も可能な「クールペリカン便」もスタート。
このほか「ゴルフペリカン便」「スキーペリカン便」なども用意され、様々な需要に応じていました。
しかし元来、日本通運は小規模な個人向け輸送よりも、鉄道や海運、大型トラックを利用した法人向け輸送を得意としています。
さらに宅配便市場ではヤマト運輸と佐川急便の2トップが圧倒的に強かったため、同市場でのシェアを伸ばせませんでした。
そして同様に、郵便による宅配便サービス「ゆうパック」(2007年から郵便小包から宅配便貨物に変更)を扱っていた「郵便事業株式会社(現:日本郵便株式会社)」もまた、収益が伸び悩みに。
そこで両者は統合による競争力強化を狙い、新たに「JPエクスプレス」を設立。ペリカン便ブランドは日本通運から離れ、JPエクスプレスが引き継ぐことになりました。
なお両社の出資比率は、郵便事業が66%、 日本通運が34%でした。
しかし事業を始動した2009年4月の段階では、システム的な問題などにより事業統合ができないままだったため、ひとまずペリカン便事業のみで営業し、同年10月にサービスの統合を目指していました。
ところが2009年10月の統合も総務省から認可が下りず再延期。JPエクスプレス自体の赤字も拡大しており、2010年3月期末の累積損失は約681億円に達しています。
そこで2010年7月、JPエクスプレスを清算、同社のペリカン便事業を郵便事業のゆうパック部門が引き受けることに。つまりペリカン便のサービスはゆうパックに引き継がれて一本化されたのでした。
そして同時に、ペリカン便のブランドはここでついに消滅することになったのです。
昔は宅配の車と言えばペリカンもヤマトもこのウォークスルーバンでしたね。この車種に添乗したことありますけど、今思うとこれってキャンピングカーに改造するのに非常に良さげです。
最近はとんと見かけなくなり、宅配と言えば2tバンか軽バンばかりになってしまいましたね。赤帽とかは荷物の背が異様に高いものを運ぶ幌の軽トラ以外は大手の下請け車両は殆ど軽バンばかりになりました。郵便局はほぼエブリイばかりです。地方に依って違うのかも知れませんが、佐川急便はハイゼット、ヤマトは2tバン、元々は赤帽はサンバーでしたのでダイハツ・ハイゼットカーゴのOEMです。
日本郵便が体よく不採算部門を押しつけられただけ。大口の格安契約を継承の名の下に背負わされ、値上げもままならない、月に10個も出さない大口割引とか、ペリカンが断れなかった契約を断るために引き継いだだけ。
そう言えば、出向したJP社員は出戻りでガッカリしていたが、ペリカン社員は郵便局の正社員になれて喜んでたなw