昔はなぜ新車の価格がバラバラだった? いまでも価格が違う車種が残る理由とは
昭和の頃、新車価格は全国で統一されていなかったことを覚えている人も多いと思います。CMなどの価格表記には「東京地区」などと注釈があり、場所によって数万円の開きがあることもありました。しかし、現在では、多くの車種で価格は統一され、注釈がない事例も多いです。新車の価格が全国で統一されたのはいつからなのか、自動車メーカーに聞いてみました。
統一価格の先駆けとなった「アルト47万円」
自動車メーカーのウェブサイトにはクルマの価格が掲載されており、価格は全国どこでも一緒だと思いがちです。しかし、過去には地域によって価格が異なっていた時期がありました。また現在でも、一部車種では価格が異なることもあります。
新車の価格が全国で統一されはじめたのは、果たしていつからなのでしょうか。
自動車メーカーに聞いたところ、まずメーカー希望小売価格は「あくまでも参考価格」ということです。
自動車メーカー各社が製造した完成車を販売会社に卸売りをする商形態をとり、実際に販売されるときの価格(販売会社による値引きを含む)は販売会社が独自に定めているものとなっています。そのうえで、実際には「全国統一新車価格」という言葉は存在しています。
では、販売会社が示す全国統一新車価格というものはどこから始まったのかを探っていくと、初めて採用したのはスズキだといいます。
スズキの広報部に聞くと、「1979年5月発売の初代『アルト』を全国統一新車価格(当時は全国標準現金価格)47万円で発売したのが始まりです。
輸送費を別途上乗せし、地域ごとに異なる車両販売価格が一般的だった当時に、アルトは常識を打ち破る、輸送費を販売価格に含めた『全国統一新車価格』を業界で初めて採用しました。
これにより『アルト47万円』とCMで大々的に謳うことが可能となりました」と話します。
統一された価格を繰り返し訴求したことで、当時のアルトの価格が47万円であることは多くの人が知ることとなり、その結果アルトは大ヒットしました。
また、三菱は「1997年より全国統一としております」と説明しており、かつて統一でなかった頃の状況を、「以前は工場から販売会社までの距離を考慮し、全国を数ブロックに分けて運賃を加味した地区価格を設定していました」といいます。
その後、統一した理由として「販売会社別の価格設定ではないので、工場から個々の販売会社までの実運賃とは異なる場合がありました。そのため、お客様に公平感のある価格表示とするよう、メーカー希望小売価格は全国統一の価格にしました」と説明しています。
日産は全国一律とまではいかないまでも、価格を統一する試みは早く、1982年10月発売の初代「マーチ」から価格表示を「北海道・沖縄を除く」としていたほか、地区別表記は2001年1月発売の4代目「シーマ」を最後におこなっていません。
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