打倒スカイラインを誓ったスープラが熱かった! パワー競争を戦った車5選
馬力規制が開始される前夜のモデル
●三菱「スタリオン」1982年発売
三菱が世界のスポーツカー市場への参入のため、1982年に「スタリオン」を発売しました。リトラクタブルヘッドライトを持つスタイリッシュなルックスで人気となり、北米ではポルシェ「924ターボ」のライバルと評価されました。
1983年には2リッター直列4気筒ターボエンジンに、インタークーラーを装着して175馬力(グロス)にパワーアップ。
1984年には可変バルブ機構を備えた「シリウスDASH」エンジンを搭載。最高出力200馬力(グロス)まで高められた「2000GSR-V」を追加し、205馬力(グロス)の日産「スカイライン2000ターボインタークーラーRS」と競い合います。
1987年には2リッターエンジンのまま、輸出用のブリスターフェンダーを採用して3ナンバー登録の限定車「GSR-VR」を発売します。
さらに1988年には輸出仕様と同じ2.6リッターエンジンを搭載した最終モデルのGSR-VRが登場。
スタリオンはスープラ、スカイラインと同様に全日本ツーリングカー選手権で活躍し、4WD化して世界ラリー選手権への出場も計画されていましたが、参戦しませんでした。
●日産「フェアレディZ」1983年発売
日産「フェアレディZ」は、1983年にシリーズ累計生産台数100万台を突破しました。その記念すべき年にデビューしたのが、3代目「フェアレディZ」です。
外観は初代、2代目の特徴的な「ロングノーズ」を受け継ぎながら、エンジンは従来の直列6気筒から、新世代のV型6気筒に変更されました。
「300ZX」には同年に先行デビューしていた「セドリック/グロリア」に搭載された、最高出力230馬力(グロス)を誇る新開発の3リッターV型6気筒ターボエンジンを搭載。
高速性能は当時の日本車としては驚異的なもので、スピードリミッターを持たない欧州仕様では最高速度250km/hを記録します。
しかし、基本的には北米市場をターゲットとした、速さとイージードライブを両立させたトルクフルなエンジン特性で、市街地でも扱い辛さは皆無でした。
1985年10月には、7代目スカイライン用に開発された、最高出力210馬力(グロス)を絞り出す2リッター直列6気筒DOHCターボエンジン「RB20DET型」を搭載した「フェアレディ 200ZR」を発売。V型エンジンとは違った直列6気筒ならではのスムーズな回転と、高回転時の甲高い音で人気を博します。
その後、1989年まで生産され、次世代の「Z32型 フェアレディZ」にバトンタッチしますが、このZ32型こそ、日本車で初めて280馬力を到達し、以降の規制上限値になりました。
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今回、紹介したクルマのなかで、前述のとおりスープラとスカイライン、スタリオンは、レースで競い合うライバルでした。そのため、馬力競争が激化することになります。
そこで、運輸省(現在の国土交通省)としては事故の増加を恐れ、280馬力を上限としたわけです。
いまほどシャシ性能や安全性能が高くなかった当時としては、仕方のない処置だったのかもしれません。
3.0GTスープラはM型エンジンの設計の古さが厄して初代XXの4M-EUと大して変わらなかったけどね
R31GTS-Rは初期のRB20DETの熟成の遅れが厄した手遅れなエンジンにカンフル剤とでも言うべきか?
結局はローレルに初めて搭載されたRB20Eが最高の完成度で無駄にツインカム化したことが仇になったのだろうね
たかだか2000の6気筒に大きなタービンなんて赤ん坊に風車を回せと言ってるのと同じで、こんな時代から仕事量で車を売りにする創造が欠けていたと熟思わされるね