ヤマハ「TZR250」 2ストロークマシンの集大成として市場導入
ヤマハは、1991年最終型となる「TZR250」を発表します。馬力規制や環境問題で2ストロークの製造販売はその後終焉を迎えます。
最終型TZR250は、ヤマハ2ストロークモデルの集大成!
1991年に登場した3代目「TZR250R」は、水冷・並列2気筒エンジンからライバル車と同様の水冷・V型2気筒エンジンに移行されます。
1990年世界GP250ccクラスでマールボロ・ロバーツヤマハのJ・コシンスキー選手が「YZR250」を駆り見事世界チャンピオンを獲得します。そのレプリカモデルとしても価値あるモデルが「TZR250R」です。
市販レーサー「TZ250」と同時に開発されてきた「TZR」は、倒立フォークや湾曲したスイングアームを採用し、後方排気モデルから軽量化され新設計のデルタボックスフレームも黒に塗装されていました。(1994年モデルにのみシルバーのフレームモデルが存在)
さらに、サスペンションの設定も見直すことで足回りも強化。また、排気チャンバーも左右非対称にされファクトリーマシン譲りの存在感を醸し出しています。
1995年モデルからは排ガス規制もあり最高出力40PSとされましたが、最終型の「TZR250SPR」は、レーサーTZの部品も多数流用できSPレースなどに参戦するケースも多く見られました。2000年の鈴鹿SP4時間耐久レースでは、SP忠男レーシングが見事勝利を手にしています。
1999年まで生産された3代目「TZR250R」は、レーサーレプリカブームの終焉や環境問題もあり販売を終了させます。
最終型「TZR250SPR」の販売価格(当時)は、78万円です。
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