えっ! トヨタ vs 日産の象徴「BC戦争」ってナニ!? もはや覚えている人も少ない? 「コロナ」vs「ブルーバード」熾烈な戦いとは

クルマには、とかくライバルがつきもの。中でも日産とトヨタの間で起こった「BC戦争」の激しさは、今でも語り草になっています。いったい、どんな戦いだったのでしょうか。

えっ…! 当初は「日産の圧勝」だった!?

 クルマの世界では、ライバルの存在は無視できません。乗用車・商用車にかかわらず、ほとんどのクルマにはライバルが存在する、と言っても良いくらいです。
 
 その中で特に熾烈かつ有名なのは、中型セダン市場の代表車種だった日産「ブルーバード」とトヨタ「コロナ」の販売台数1位を巡る戦いです。ブルーバードの「B」と、コロナの「C」を取って「BC戦争」と呼ばれました。

1960年代から1980年代頃まで、トヨタと日産では熾烈な「BC戦争」が繰り広げられていました[上は3代目のトヨタ「コロナ」(T40/T50型)/下は3代目の日産「ブルーバード」(510系)]
1960年代から1980年代頃まで、トヨタと日産では熾烈な「BC戦争」が繰り広げられていました[上は3代目のトヨタ「コロナ」(T40/T50型)/下は3代目の日産「ブルーバード」(510系)]

 日産とトヨタの“BC戦争”には、序章があります。

 1955年に発売された小型車「ダットサン110型」を追撃すべく、1957年に発表された初代「トヨペット コロナ(T10型)」との戦いがそれです。

 ちなみにダットサン、トヨペットともに、かつて日産とトヨタが使用していたブランド名で、それぞれ1970年代から80年代にかけて、日産・トヨタブランドに統一されています。

 ダットサン110型はタクシーとしても好評を博していました。そのためタクシー業界からの声を受けた販売店サイドは、タクシーにも使える小型車の開発をトヨタに要請。初代コロナはこうして発売されたため、急ごしらえ感は否めませんでした。

 一方の日産は1957年にダットサン1000(210型)を、さらに1959年には追い打ちをかけるように初代ブルーバード(310系)を発売して圧勝。トヨタも負けじと打倒ブルーバードを目指し、2代目コロナ(T20型)を1960年に発表。いよいよ本格的なBC戦争が開始スタートしました。

 2代目コロナは、スマートなデザインや乗り心地の良さで評判を呼びましたが、当時の道路は未舗装が多く、タクシーで酷使されたことで耐久性やボディ剛性の弱さが明らかに。改良を繰り返すもブルーバードに及ぶことなく、再びコロナが敗北しました。

 初代ブルーバードは対米輸出も堅調で、記録的な販売台数を記録。日産はその勢いをキープしようと、1963年に2代目ブルーバード(410型)を売り出しました。

 世界的なデザイナーであるピニンファリーナがデザインしたヨーロッパ志向のデザインが自慢でしたが、テールに向かって下がっていくスタイルは日本市場では好まれず、肝心のデザインが仇となって販売は低迷。

 マイナーチェンジでスタイルの大幅改良を行うも、大きな効果は得られませんでした。

 ここでトヨタは勝負に出ます。敗戦から得た教訓を生かして3代目コロナ(T40/T50型)を開発しました。

 水平基調のスタイルと「アローライン」と称したスラントノーズを特徴とし、車体の大型化で居住性を向上。耐久性もアップし、高速道路時代の幕開けに合わせて高い走行性能をアピールしました。

 その結果、3代目コロナは大ヒットを記録。1965年にはついにブルーバードを抜いて国内販売台数1位に輝くまでに。ようやくトヨタはBC戦争を制したのでした。

 しかし日産も黙っておらず、1967年には3代目ブルーバード(510系)を発売しました。

「スーパーソニックライン」と呼ばれるシャープなボディラインを誇った3代目ブルーバードは、スポーティモデル「SSS(スリーエス)」や、ラリーへの参戦も後押しして人気を獲得。

 北米市場でも好調で、1973年までに約155万台が生産され、再びコロナに勝つことができました。

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1件のコメント

  1. 実はBC戦争でトヨタと日産の首位争いに終止符この頃でした。
    豊田と生産販売台数が開き始めたことに焦った興銀出の日産川又克二社長が自車製品の強化ではなくプリンス自動車を合併させ、生産販売台数でトヨタを抜くという腹積もりだったが…うまくいかなかったちなみにトヨタコロナRT40は発売と同時に名神高速10万km連続走行にテストドライバ-ではない開発部門の社員が代わる代わる運転したという

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