ザ・スーパーカー「BB」にあって「カウンタック」にないものとは? フェラーリのレーシングモデルは高値安定
いまや伝説のレーシングチーム「NART」とは
伝統的フェラーリV12FRモデルの最後を飾った「365GTB/4デイトナ」は、一部の車両がFIAグループ4仕様に改装され、輝かしい戦績を残していることで知られている。しかしその後継車であるミドシップ車「BB」シリーズも、デイトナほどではないとはいえ、レースの世界に確たる足跡を残している。
●1981 フェラーリ「512 BB/LM」
この夏、RMサザビーズ「Montley」オークションに出品された512BB/LMも、ル・マン24時間レースで完走歴のある1台。フェラーリの歴史家として世界に知られるマルセル・マッシーニ氏とキース・ブルーメル氏の調査によると、シャシNo.#35527のこの個体は、フェラーリが正規に製作した16台のBB/LMシリーズ3の10台目とのこと。
また、アメリカにおけるフェラーリとは切っても切れない大立者、故ルイジ・キネッティと彼が主催するレーシングチーム「NART」に販売、レースに共用された最後のフェラーリとしても知られる個体とのことである。
1981年4月、マラネッロからNARTに新車としてデリバリーされた#35527は、6月13日のル・マン24時間レースの「IMSA」カテゴリーでレースデビュー。アレイン・クディーニ/ジョン・モートン/フィリップ・グルジアン組がドライブし、一時は総合4位まで浮上するも、クラッシュアウトしてしまう。
しかし翌1982年のル・マンでは、クディーニ/モートン/ジョン・ポール・ジュニア組に委ねられ、トランスミッショントラブルを抱えながらも総合9位/クラス4位入賞を果たした。
さらにNARTは1983年のル・マンにも仮エントリーしていたが、チームの母のごとく敬愛されていたルイジの妻、マリオン・キネッティが逝去したこともあって、NARTは1982年12月に解散。結果としてこの512 BB/LMは、フェラーリとモータースポーツの歴史に冠たる名門レーシングチーム、NARTの最後を飾る1台となったのだ。
#35527は1984年までNARTによって保有されたのち、米国および欧州で複数の著名コレクターのもとを渡り歩くことになる。
1999年、オリジナルの「F102B」エンジンは、このマシンをクラシックカーレースに持ち込もうとした当時のオーナーによって「F110A」型ボクサー12に換装。キネッティ夫人の名「Marion」が刻印されたオリジナルエンジンは2001年にリビルドされ、今回の販売でも添付されたという。
また、2010年代にこのマシンを入手したオーナーは、カリフォルニア州のフェラーリ・スペシャリストに、33万ドルをつぎ込んで完全な修復を委託。シャシは完全に分解され、超音波およびX線撮影までおこなって構造的な亀裂についてテストされたという。
そして2017年後半、1982年にNARTからル・マンに出走した時を再現したカラーリングで完全復活を果たした#35527は、翌2018年には「NARTのフェラーリ」をフィーチャーした「アメリア・アイランド・コンクール・デレガンス」に招待され、アメリア賞が贈られている。
また、2019年5月31日に開催されたクラシックカー・レースイベント「ソノマ・スピードフェスティバル」では「グループ10 IMSAクラス」にも出場し、現状ではこれが最後のレース参加となっている。
アメリカのフェラリスタにとってはとても重要な「NART」とともに、輝かしいレーシングヒストリーを持つフェラーリ512BB/LMが、アメリカでもっとも重要なオークションに出品されるということもあってだろうか、RMサザビーズ北米本社は300万ドルから350万ドル、つまり邦貨換算約3億2940万円から約3億8230万円という高額のエスティメートを設定したものの、残念なことに最低落札価格に届くことなく流札。現在では継続販売となっている。
ただしこのエスティメートは、現在の国際マーケットにおけるフェラーリ512BB/LMとしては妥当なものとも考えられる。ル・マンの完走歴があることから「ル・マン・クラシック」にエリジブル(Eligible=参加資格がある)なのはもちろん、例えば「グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピード」のヒルクライムに招待されることも夢ではないこの個体ならば、3億円を大きく超える価格であっても妥当とするのが、現在の国際マーケットにおける評価と思われるのである。
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