【5分で分かるカウンタックの見分け方】歴代モデルを一挙解説
元祖スーパーカーといえば「ミウラ」だが、ザ・スーパーカーといえば「カウンタック」であろう。50代以上の人には懐かしい少年の頃の思い出とともにあるカウンタックの歴史を紐解いてみよう。
登場して50周年、各世代の「カウンタック」の違いとは
2021年が、スーパーカー界の歴史的アイコン「ランボルギーニ・カウンタック」の生誕50周年であることは、すでにご存知の方も多いだろう。年明け以来、メーカー公式や各メディアによって、稀代の名作の半世紀を祝賀するアニヴァーサリー企画が数多く送り出されているようだが、2012年7月12日から、アウトモビリ・ランボルギーニ本社のSNSチャンネルにて、カウンタックの50周年を記念した4篇の連作ムービーが公開されることになった。
今回VAGUEでは、創造主のひとりであるマルチェッロ・ガンディーニ氏のインタビューに登場する5世代のカウンタックと、その起源である「LP500コンセプト」を、振り返ってみることにした。
●1971年:”アイデアカー”としてデビュー、カウンタックLP500
1970年の夏、開祖フェルッチオ・ランボルギーニは、「ミウラ」のごときアイコン的名車の後継となるに相応しい、革命的な新型車の開発を部下たちに命じた。
すでにランボルギーニの象徴となっていたV12エンジンは踏襲するものの、排気量は4リッターから5リッターに拡大。搭載位置は横置きミッドから縦置きに変わった。
縦置きミッドではホイールベースやリアのオーバーハングが伸びてしまいがちだが、この問題を回避するために、ランボルギーニの技術責任者だったパオロ・スタンツァーニ技師は、エンジンの前にトランスミッションを配置し、プロペラシャフトをエンジンブロック内に通す、革新的な解決法を発明した。
一方、カロッツェリア・ベルトーネの主任スタイリストだったマルチェッロ・ガンディーニ氏は、鋭いエッジと圧倒的な低さを特徴とする、異形ともいうべき革命的スタイリングで応じた。
またガンディーニ氏は、サイドシルの高さから生じる技術的な要件を満たすだけでなく、キャビンへのアクセスを容易にするために、「シザースドア」を採用。こののち、サンタアガタ・ボロネーゼで生産されたすべてのV12モデルにおける特徴的な要素は、すべてこの時点で揃っていたことになる。
LP500と呼ばれるこの最初のプロトタイプは、1971年3月のジュネーヴ・ショーで初公開。時を同じくして「カウンタック(クンタッチ)」という言葉が初登場する。それは何かへの驚きと賞賛を示す、イタリア・ピエモンテ方言の感嘆詞であった。
●1973年:第一世代のカウンタックLP400が誕生
1971年のジュネーヴ・ショーおよび、パリとトリノのモーターショーにも出展されたLP500は爆発的な反響を得たが、この時点でカウンタックはまだ生産化の準備ができていなかった。それは人々の反応をテストするために製作された「アイデアカー」に過ぎなかったのだ。
正式な開発スタートが決定したのち、伝説的なニュージーランド人テストドライバー、ボブ・ウォレス氏のテスト走行とともにおこなわれた約2年間の集中的な開発期間は、LP500プロトタイプが標準的な生産車に変身するためには不可欠のものだった。
また、特にエンジン冷却とエンジンルームへのエア導入について、かなりの数の変更が必要となった結果、リアフェンダー上部に大型のラジエーター用エアインテークと「NACAスクープ」が追加された。
加えて初期のロードテストの結果、5リッターエンジンは未熟であることが判明したことから、ミウラと同じ4リッターとされた。3929ccのV12エンジンは、6基のウェーバー45 DCOEキャブレターを装着し、375ps/8000rpmを獲得。最高速度300kmを謳った。
カウンタック「LP400」は1973年3月のジュネーヴ・ショーにて、シャーシ#1120001の個体とともに正式デビューを果たした。これは、のちの生産型に近いプロトタイプだった。
LP400では車体構造も抜本的に見直され、スティール製のボディシェル自身で応力を担当する構造から、コンベンショナルなフレームに変更。分化された鋼管フレームと金属パネル、グラスファイバー製のフラットベースによって構成されることになった。
この構造は非常に堅牢かつ軽量で、そののち全世代のカウンタックを通じて抜本的な変更を受けることはなかった。
サスペンションは、不等長アームを持つダブルウィッシュボーン。レースカー由来のツインダンパーや4輪ベンチレーテッド・ディスクブレーキも採用された。
ガンディーニ氏のデザインをもっとも純粋に体現したと評されるLP400は、1977年までに152台がラインオフ。その希少性も相まって、現在ではコレクター人気のもっとも高いカウンタックとなっている。
ちなみに、ジュネーヴでは赤く塗られて発表されたこの個体は、同じ年のフランクフルトやパリ、ロンドン(アールズコート)で開催されたショーでは、ミディアムグリーンにリペイントされて展示。そののちスイスに販売されたが、2000年代初頭にイタリアへ里帰りを果たした。
現在ではアウトモビリ・ランボルギーニが保有し、オフィシャル博物館「MUDETEC (Museo Delle Tecnologie)」に展示されている。
コメント
本コメント欄は、記事に対して個々人の意見や考えを述べたり、ユーザー同士での健全な意見交換を目的としております。マナーや法令・プライバシーに配慮をしコメントするようにお願いいたします。 なお、不適切な内容や表現であると判断した投稿は削除する場合がございます。