日産の「“和製”スーパーカー」に大注目! 300馬力超えツインターボ×「ミッドシップ」の超本格“常時4WD”マシン! 市販化目前だった幻の2シータースポーツカーコンセプト「MID4」とは
1980年代後半、日本はバブル景気に沸き返っていました。そんな時代に生まれたのが、今も自動車ファンの間で“幻の名車”と語り継がれる日産「MID4(ミッド・フォー)」です。どのようなクルマだったのでしょうか。
まさかの「フルモデルチェンジ」!? 2年後に誕生した異例の“2代目”「MID4」とは
そんなセンセーショナルだった初代MID4の発表から2年後の1987年、「第27回東京モーターショー」に、まさかのフルモデルチェンジで“2代目”となった「MID4 II」が登場しました。
外観はよりモダンで未来感のあるスタイルへと生まれ変わり、ボディサイズも全長4300mm×全幅1860mm×全高1200mmとひとまわり拡大されました。

最も大きく変わったのはエンジンとシャシです。
最高出力330馬力を誇るV型6気筒DOHCツインターボ「VG30DETT型」をリアミッドシップに縦置き搭載し、パワーは初代から大幅に向上。
サスペンションもフロントにツインダンパー式ダブルウイッシュボーン、リアにHICS付きマルチリンクを採用するなど、動的性能は飛躍的に高まっています。
MID4 IIはモーターショーの展示に先立ち、ジャーナリスト向けの試乗会も実施されました。
そこで「高性能でありながらじゃじゃ馬的ではなく、スムーズに扱えるスーパースポーツ」と高評価を獲得し、内外装の完成度も市販直前といえるほどのクオリティに達していたのです。
実際、1985年頃から市販化に向けた検討が社内で始まっていたといい、MID4 IIはあくまで初期プロトタイプという位置づけでした。
メディアやファンの間からも市販化への期待が高まるなか、1980年代末には開発と生産の両面で具体的な検討が進み、実現は現実のものとなりつつありました。
しかし、最終的に日産は市販化の中止という経営判断を下します。
その背景には、日産の財務状況の悪化がありました。
好景気の時代にもかかわらず、過剰な設備投資によって同社の台所事情は厳しくなっており、MID4の量産化に必要な莫大な開発費と工数を捻出することが難しかったのです。
バブル崩壊をきっかけに開発が止まったクルマは少なくありませんが、MID4はバブル絶頂の最中に幻となったという点で、ひときわ異彩を放っています。
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ファンの期待に応えることなく市販には至りませんでしたが、MID4の開発で培われた数多くの技術は、その後のフェアレディZやスカイラインGT-Rといった市販車に受け継がれました。
形は違えど、MID4の魂は確かに日産のスポーツカーたちの中に生き続けているのです。
Writer: 赤羽馬
金融業・自動車ディーラー営業マンを経て、ライターとして独立。幼少期からの自動車カタログ収集癖あり。エンドユーザーに役立つ話や経済・金融とクルマに関する情報を発信中。

































