日産が「日本で“ドイツ車”」造ってた? 座間の“日産工場”で生産された「神奈川県産まれのフォルクスワーゲン車」なぜ誕生したのか 異色のモデル「サンタナ」が販売された複雑な事情とは
かつて、日産の工場で生産されたドイツ(当時は西ドイツ)の「フォルクスワーゲン車」が存在しました。なぜ日産で作られることになったのでしょうか。そしてどのようなクルマだったなどについて、実車の写真や当時の資料も交えて紹介します。
日独合作で得た成果が「1990年代の名車」を生み出すきっかけに!?
その後の1985年5月に、小径ステアリングホイール・フロントリップスポイラー・14インチアルミホイール・スポーツシートなどが与えられたスポーティバージョン「2000 Xi5アウトバーン」を追加。
さらに1987年1月には、各部に手を入れた大きめのマイナーチェンジを受け後期型に発展。フロントデザインの刷新・リアバンパーやサイドモールの変更、そして140psを発生する直5DOHCユニットを搭載した「2000 Xi5アウトバーンDOHC」も登場しています。
しかしグレードは大幅に整理され、「2000 Xi5アウトバーンDOHC」「2000 Xi5アウトバーン」「2000 Xi5」「1800 Gi」のみとなりました。

販売価格は、1984年時点で「1800 Li」(5速MT)の199.5万円から「2000 Xi5」(3速AT)の257万円、後期型発売の1987年には「1800 GLi」(5速MT)の213.6万円から「2000 Xi5アウトバーンDOHC」(3速AT)の288.3万円でした。
参考までに、1984年5月での同じ価格帯の日産車を見ると、「スカイライン」(R30型)「セダン2000ターボGT-EXパサージュ」(5速MT)で199.3万円、「レパード」(F30型)「4ドアハードトップ ターボZGX」(5速MT)が258.9万円、「セドリック/グロリア」(Y30型)「4ドアハードトップ V20ターボ ジャック・ニクラウスバージョン」が328.6万円でしたので、それなりの高額モデルだったのがわかります。
ただし、サンタナとプラットフォームを共用する同時期のアウディ「80」は、最安値だった4気筒の普及版グレード「CLE」で320万円、5気筒を積む「GL 5E」は380万円だったことから、サンタナはそれなりにリーズナブルな戦略設定だったことも見えてきます。
販売網は当時の日産サニー店(と一部のプリンス店)でした。サニー店系列には高級車・旗艦モデルがなく、サンタナはその役目も果たしていたほか、ヤナセでも販売されていました。
このようにさまざまな期待を込めて導入されたサンタナですが、初期型に頻発したトラブルやAT暴走事故が尾を引き、営業マンも積極的に売らなくなってしまいました。
さらに当時はまだ輸入車は垣根が高い時代。いくら日産の広域ネットワークでメンテに関する心配がなく、相対的に安価と言われても、なかなか手が出せなかったのも事実でしょう。
前述のように高額車でもあるため、同じ予算で買えるスカイラインや「ローレル」、セドリック/グロリアなどを選んだ人は少なくありませんでした。
そんな中でもサンタナは1990年まで生産を継続しました。6年間の総販売台数は約5万台と言われていますが、これは日産が当初計画していた年産6万台にも届かない数字。
結果としてVWとの提携、そしてサンタナは失敗に終わってしまったのです。
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なお筆者(遠藤イヅル)は今、1987年式のサンタナ 2000 Xi5アウトバーンDOHCを所有しており、ごくふつうに年間1万キロのペースで仕事をメインに使っています。
乗っていて感じるのは、「VWの完全コピー」であるという驚きです。
手に触れるもの、見えるものは完全に当時のVWの品質とデザインなのですが、これらはすべて国産パーツなのです。
Dレンジに入れた際の振動は1980年代のVWに乗っている人ならわかると思いますが、そんなところまで再現しています。
そのためオートマシフトノブの根元インジケータは左ハンドル用で見にくく、ウインカーレバーも左側のまま。いっぽうでスピードメーターは日本車らしく180km/h止まり、しかも100km/hを越えると懐かしい「キンコン」とチャイムが鳴りました。
内装の高品質は目を見張るポイントです。筆者は他にも、1981年に発売を開始した「純」日産車である「サニー」(B11型)を所有していますが、車格の違いを差し引いても、内装の品質は高いとは言えないのが事実です。
ところがその次の世代となる1985年登場のB12型では、一気に高品質に。サビに弱く緩いと言われていたボディも、格段に進歩を遂げています。
さらにサンタナの登場を境に日産車のボディ剛性アップと操縦性は向上し、1989年のスカイライン(R32型)、初代「プリメーラ」(P10型)でそれは大きく花開くことになるのです。
一説では、これら日産車のクオリティアップはサンタナから学んだと言われています。
現に、日本仕様のサンタナを担当した津田靖久氏は、ドイツや欧州流のクルマ作りを行い、ハンドリングで高い評価を受けたP10プリメーラの主査でした。
成功作とはならなかったサンタナですが、その経験は日産車へと受け継がれ、大きな財産になったといえるでしょう。
Writer: 遠藤イヅル
1971年生まれ。自動車・鉄道系イラストレーター・ライター。雑誌、WEB媒体でイラストや記事の連載を多く持ち、コピックマーカーで描くアナログイラスト、実用車や商用車・中古車、知られざるクルマの記事を得意とする。









































