日産が「日本で“ドイツ車”」造ってた? 座間の“日産工場”で生産された「神奈川県産まれのフォルクスワーゲン車」なぜ誕生したのか 異色のモデル「サンタナ」が販売された複雑な事情とは
かつて、日産の工場で生産されたドイツ(当時は西ドイツ)の「フォルクスワーゲン車」が存在しました。なぜ日産で作られることになったのでしょうか。そしてどのようなクルマだったなどについて、実車の写真や当時の資料も交えて紹介します。
昔も今も、変わったクルマが売られるきっかけは「貿易摩擦」!?
トヨタは2026年より、米国生産のトヨタ車3モデルの国内導入を検討したと正式に発表しました。そのきっかけは日米の「貿易摩擦」にあります。
同じようなことはかつてもありました。しかも海外メーカーのクルマを日本で生産するという、今とは異なる手法がとられたのです。

「ノックダウン生産」という言葉をご存知でしょうか。簡単に言えば、海外の拠点などにパーツのみ輸出し、現地で組み立ておよび販売することを指します。
ノックダウン生産の理由はいくつかあります。
部品を輸入して組み立てれば「完成車」ではないということから、クルマ輸入の関税が高い国の関税対策として採用が見られました。
ほかにも、完成車を運ぶとコストがかかるので、パーツごと輸出して現地で組み立てて輸送費を削減したり、自国の技術が未熟なため海外メーカーと提携してその技術を学ぶためのノックダウン生産も行なわれていました。
この場合、次第にパーツを国産化して、国産化比率をあげていくことがふつうでした。
ところがフォルクスワーゲン(VW)「サンタナ」の場合、少々事情が異なりました。
1970年代後半以降、意欲的な海外進出を図った日産は、1980年12月に西ドイツ(当時)のVW社と業務提携を結びました。
しかしこの提携は、日本車が海外でシェアを拡大するのに対し、日本では輸入車が売れないことに起因する「貿易摩擦」への対応という側面がありました。
VWのクルマを日産で生産するにあたり、日産は、自社のラインナップとバッティングしない車種としてサンタナを希望したとされます。
ちなみにサンタナがどのようなクルマだったかというと、当時はボディ形状が5ドアハッチバックとバリアント(ステーションワゴン)だった、2代目「パサート」のセダン版でした。
その後西ドイツでは車名をサンタナから「パサート・サルーン」に変更。1988年まで生産されましたが、VWのフラッグシップかつ国際戦略車だったサンタナは、日本以外でも中国、ブラジル、メキシコなどでノックダウン生産の対象になっています。
中国は2012年、ブラジルは2006年まで内外装に大きな変更を伴いながら生産を継続していたので、中国へ訪れた際に見たという人も少なくないでしょう。
そして日本仕様の“日産・VWサンタナ”は1984年2月に発表・発売を迎えます。
日産はサンタナに並々ならぬ期待をかけており、キャッチコピーを「ロマンチック街道から」と定め、「サンタナ通信」という広告雑誌を発行するなど、サンタナがドイツ生まれであることをアピール。発売に合わせ大々的なキャンペーンが行われました。
サンタナの生産は、コンパクトセダン「サニー」などを作っていた日産・座間工場(現・座間事業所/神奈川県座間市)が担当しました。
その際、日産で作りかつ日本の路上で使うための変更点は少なく、国内法規に合わせる改良以外は、おおむねドイツ本国の仕様が踏襲されました。
そのため、操縦性や直進性・乗り心地・シートの座り心地などは、まさにドイツ車そのもの。当時の自動車雑誌から高い評価を受けました。
ただしドイツでオプションだったエアコンは、全車標準装備とされています。
国内発売開始時の“日産”サンタナのバリエーションは、VW・アウディ製2リッター直列5気筒「J型」搭載の「2000 Xi5」「2000 Gi5」、VW製1.8リッター直列4気筒「JN型」を積む「1800 Gi」「1800 Li」、そしてVW製1.6リッターディーゼルターボ「CY型」が載る「1600 ターボディーゼルGt」「1600 ターボディーゼルLt」を設定しています。
トランスミッションは5速マニュアルのほか、ターボディーゼル以外は3速オートマチックを選択可能でした。内外装色も多く、日産の本気がうかがえます。
エンジンとトランスミッションは、終始本国から輸入されていたものを組み付けていましたが、各部のパーツは国産比率を次第に高め、最終的にはほぼ日本製パーツで生産されたようです。
ちなみに「R31」「Z31」などの「日産式の型式」もちゃんとサンタナには与えられており、「M30型」を名乗ります。









































