ヤマハ「YZF-R1」 20年の進化を振り返る

遂にR1登場、軽さに挑戦したヤマハ開発陣

 そんなCBR900RRを横目にヤマハ陣営がなにをしたか? それを初代YZF-R1のプロジェクトリーダーを務めた三輪邦彦さんはこう語ります。

1998年 YZF-R1(初代)

「軽さへのトライとして、まずサンダーエースからどんどん部品を取り外していきました。最後にはバッテリーも発電機も外し、ついに180kgを下回ったんですね。そうしたら“なんやこれ!”って思うほど自由自在に操ることができ、次期モデルでは絶対にこの乗り味を再現するんだと強く思いましたね」

 それがカタチになり、YZF-R1として世界で初披露されたのが1997年秋のミラノショーでのこと。公表されたスペックは最高出力150ps、乾燥重量177kg(装備重量198kg)というもので、その時4代目へと進化していたCBR900RRの128ps、乾燥重量183kg(装備重量200kg)という数値を軽々と凌駕していたのです。

 しかも車体にはヤマハのGPマシンYZR500で培われたディメンションが盛り込まれるなど、新時代を切り開くマシンとして大きな話題を呼んだのです。この初代YZF-R1をきっかけにリッタースーパースポーツの覇権争いが激化したと言っても過言ではないでしょう。

 とはいえ、実にヤマハらしいのはそれだけのスペックを与えながらも決して一般のライダーを無視しなかったところです。YZF-R1はサーキットありきのマシンではなく、FZR1000やサンダーエース同様、あくまでも「ツイスティ・ロード」を重視した設計が施されていたところがポイントです。

 そのあたりのことを小池美和さん(1998年ボディ実験担当・2002年/2004年プロジェクトリーダー)はこう回想します。

「サーキットも大切ですが、一般道で楽しめなければ意味ありません。だって市販車ですからね。しかもアウトバーンのような直線ではなく、コーナーを駆け抜ける時にいかにドキドキワクワクできるか。それがYZF-R1に込められた“ツイスティ・ロード最速”というコンセプトに他なりません」

2018鈴鹿8時間耐久レースには「YZF-R1」デビュー20周年記念カラーで参戦

 実際、YZF-R1は世界中のライダーに受け入れられ、爆発的にヒット。その人気が市販車で争われる世界スーパーバイク選手権のレギュレーション改訂にも大きく影響し、数々のヨーロピアンメーカーまでもが4気筒エンジンを手掛けるようになったのです。

 もちろん、YZF-R1も着々と進化を重ね、1998年から2018年の間にエンジンは3世代、車体は5世代目へと突入して現在に至っています。その歴史を飾った主なモデルが次の通りです。

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