「ミスタープロ野球」長嶋茂雄さん死去、89歳 過去に「トヨタ車」CMでも鮮烈印象… いま振り返る功績とは
2025年6月3日午前6時39分、巨人の終身名誉監督・長嶋茂雄さんが肺炎のため都内の病院で亡くなりました。89歳でした。今回は、長嶋茂雄さんの功績を振り返りながら、過去にCM出演したトヨタ「コロナ マークII」にも触れていきます。
長嶋茂雄さん、輝かしい実績と国民的人気… 過去にはトヨタ車のCMにも出演
日本プロ野球界の至宝として多くの人々に愛された巨人の終身名誉監督・長嶋茂雄さんが2025年6月3日午前6時39分、肺炎のため都内の病院で亡くなりました。89歳でした。
「私はきょう引退をいたしますが、わが巨人軍は永久に不滅です」の名言を残した長嶋茂雄さんは、野球だけでなくCMでも国民的存在でした。

千葉県出身の長嶋茂雄さんは、東京六大学のスター選手として活躍した後、1958年に巨人へ入団しました。
打って、守って、その一挙手一投足が多くのファンを魅了し「ミスタープロ野球」、「ミスタージャイアンツ」、「ミスター」などの愛称で親しまれました。
巨人17年間の現役生活では、首位打者6回、打点王5回、ホームラン王2回、最優秀選手5回と多くのタイトルを獲得するなど名実ともに日本球界を代表する選手に。
また、同じ巨人の王貞治さんと「ONコンビ」で一時代を築くなど、プロ野球を国民的な人気スポーツへと押し上げる原動力となりました。
1974年に38歳で現役を引退。その引退セレモニーでは「私はきょう引退をいたしますが、わが巨人軍は永久に不滅です」というセリフがいまでも語り継がれています。
巨人引退後も長嶋茂雄さんは多くの功績を残します。巨人の監督を2期(通算15年間)務め、リーグ優勝5回、日本一2回の成績を残しました。
このように輝かしい実績を誇る長嶋茂雄さん。近年も度々イベントなどに現れて元気な姿を見せていましたが、冒頭の通り、肺炎のため89歳で亡くなりました。
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そんな長嶋茂雄さんですが、野球界だけでなく、数々のCMにも出演し、その親しみやすい人柄と独特の語り口で多くの商品の宣伝に一役買いました。
なかでもトヨタ「コロナ マークII」のCMへの出演は、多くの人々の記憶に残っています。
長嶋茂雄さんがCN出演したコロナ マークIIは、4代目のマイナーチェンジモデルで、この代まで「コロナ」の名が残ります。
ちなみに「マーク(MARK)」とは、英語の「Mark(目標、成功、名声)」を意味し、「II」は「コロナの第二世代」「コロナの上級車」という意味が込められています。
元々の4代目は、1980年10月に4代目が発売されました。
この4代目から、ボディラインアップは4ドアセダン、ワゴン、そして新たに加わった4ドアハードトップで構成され、それまであった2ドアハードトップは終了。
4ドアセダンは直線基調でシックスライトの端正なスタイルとし、ヘッドライトにはSAE角型4灯式を採用。
一方、4ドアハードトップはノーズをスラントさせ、異形2灯式ヘッドライトを採用しました。
4ドアハードトップはセンターピラーレスに見えるピラードハードトップとなっています。
エンジンラインナップも充実しており、当初は新開発の2リッターの直列6気筒SOHC(1G-EU)がメインエンジンでした。
その他にも、GTの4気筒DOHC(18R-GEU)、1.8と2リッターの4気筒キャブレター仕様、2.2リッター・ディーゼルの5種が設定されていました。
その後、間もなく6気筒SOHCターボ(M-TEU)や2.8リッター(5M-EU)が追加。
長嶋茂雄さんがCMに登場した1982年8月のマイナーチェンジでは、さらに160PS/18.5kgmを発揮する6気筒DOHC24バルブエンジン(1G-GEU)が追加されています。
このとき設定されたボディカラーのスーパーホワイトは、姉妹車の「チェイサー」「クレスタ」とともに一大ブームとなるほどの人気を博しました。
この4代目から「マークII」の販売主力はセダンから4ドアハードトップへと移行し、日本の高級セダン市場における重要なモデルとしての地位を確立していきました。
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そんなコロナ マークIIのCMにも出演した「ミスタープロ野球」こと長嶋茂雄さん。
89歳でお亡くなりになりましたが、日本スポーツ界のレジェンドとして、そのスピリットは永遠に私たちの心に残り続けることでしょう。
長嶋さんにこじつけすぎ。
あちこち日本語がおかしいし、もう少し読める日本語にしてください。
もしかして、書いてるの日本人じゃない・・・?