トヨタ「MR2」(初代) 国内初の量産ミッドシップは手ごろな「僕らのスーパーカー」

「MR2」はなにを残したのか

 大きく張り出したブリスターフェンダーに固定式ヘッドライトのフロントマスクなど外観はかなりワイルド。参戦カテゴリーは、1985(昭和60)年に設定が決定されたグループBより、さらにレギュレーションの自由度が高いグループSを想定していました。

 しかし、1986(昭和61)年にランチア「デルタS4」を駆るヘンリ・トイボネンの事故死をきっかけにグループBの廃止が決定。より過激なマシンで戦われることの予測されたグループSが実現されるはずもなく、「MR2」の「WRC」参戦は夢と終わったのでした。

 堅実なイメージのトヨタが日本のミッドシップスポーツカーの先駆者になったことは、当時としても大きな衝撃だったことでしょう。その誕生の背景には、フィアット「X1/9」が北米で商業的に成功したことも大きいと考えられ、「ポンティアック・フィエロ」も発売当初、販売が絶好調だったことからも、自動車大国アメリカのニーズを上手くくみ取って開発されたものだったようです。実際、初代「MR2」の生産台数の多くが輸出されています。

 トヨタが「MR2」を発売したことが、のちの国産ミッドシップスポーツカー誕生へ大きく影響を与えたことは間違いないでしょう。リトラクタブルヘッドライライト、ミッドシップレイアウト、幻のグループSマシン……口プロレスでも決して、他車に負けることのないエピソードを持つ僕らのスーパーカー。それが「MR2」。多くの人に手頃な価格で、ミッドシップスポーツカーの魅力を教えてくれた偉大な存在だったのです。

【了】
提供:乗りものニュース

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