さよなら!ホンダ「オデッセイ」最終型は“普通のミニバン“に!? ブームの先駆者がたどった運命とは
ミニバンブームの火付け役となったホンダ「オデッセイ」が2021年12月に生産終了しました。5世代にわたって進化を遂げてきたオデッセイですが、一体どんなモデルだったのでしょうか。改めて最終モデルに試乗してみました。
ホンダ「オデッセイ」27年にわたる歴史に幕
2021年12月、ホンダ「オデッセイ」の国内モデルの生産が終了しました。
オデッセイはホンダの“顔”にまで上り詰めたヒットモデルでしたが、なぜこのような判断になってしまったのでしょうか。
オデッセイの27年間にわたる歴史を振り返りつつ、生産終了に至った事情を分析していきたいと思います。
1990年前半、当時はバブル経済が崩壊したタイミングで、世の中は“イケイケ”からアッという間に“節約傾向”となりました。
それはレジャーにも大きく影響し、それまでのような「金に物をいわせて海外で豪遊」から「身近な所で家族と楽しむ時間を増やす」といった流れになり、これが発端で「アウトドアブーム」が始まったといわれています。
そうなると、セダンやスポーツカーでは対応できないのは明らか。多人数乗車で居住性/積載性の優れる「ミニバン」に光が当たりました。
ただ、当時のミニバンは商用車の派生モデルばかりで、内外装の仕立てはもちろん、動力性能や操縦安定性など「走る/曲がる/止まる」といった性能は残念ながら乗用車とはかけ離れた物でした。しかし、そんな心配とは裏腹にミニバンは好調に売れました。
その光景を羨ましそうに見ていたのが「ホンダ」でした。いまでこそ複数のミニバンをラインナップしていますが当時はゼロ。そこで開発されたのが、1994年に登場した初代オデッセイです。
初代オデッセイは満を持して登場したホンダの3列シートモデルといいたいところですが、基本コンポーネントは5代目「アコード」用を流用、ほかのミニバンよりも低めの車高は生産ラインを通せるギリギリの寸法から算出と、実は「苦肉の策」によって生まれたモデルだったといいます。
そのようなこともあり、オデッセイは「ミニバン」ではなく「クリエイティブムーバー」とホンダも呼んでいました。
そんな門出でしたが、結果として「乗用車感覚のミニバン」という新たなジャンル切り開き、あっという間にヒットモデルに。その後、「オデッセイに続け!」とばかりに、ライバルメーカーから似たようなモデルが登場したのです。
1999年に登場した2代目は日本一のファミリーカーをコンセプトに開発。とくに走りに関しては初代以上のこだわりを盛り込んで、セダンを凌駕する運動性能が追求され、何と走りのベンチマークはBMW「5シリーズ」でした。
モデル途中には、走りの質感をより引き上げた「アブソルート」も設定しています。
2003年に登場した3代目は初代以上の衝撃を生みました。ライバルモデルは居住性を引き上げるため全高を高める方向だったのに対して、オデッセイは逆に全高を下げて1550mmになり、俗にいう「タワーパーキング対応」のミニバンでした。
といっても単純に全高を低くしたのではなく、新開発の低床プラットフォームの採用により居住性は従来モデル並みのスペースを確保。
原理原則に従った結果、走りはミニバンの域を完全に越えライバルは不在で乗用車、それもスポーツ系モデルと比較したくなるようなレベルを実現しています。
アブソルートは200馬力を発揮する高回転型のi-VTECエンジン&5速ATと、ニュルブルクリンクより厳しいといわれる、北海道にあるホンダ鷹栖テストコースで煮詰めたシャシとの組み合わせにより、走りはスポーツセダン並みといっていい仕上がりでした。
2008年に登場の4代目は3代目からキープコンセプトでしたが、全高の高いミニバンも走りに注力し始めていたこともあり背の低さがウリにならず、逆にミニバン必須アイテムのひとつともいえる「スライドドア」を設定していないことも人気を下げる結果とり、3代目ほどの人気を得ることができませんでした。
しかし、走りのパフォーマンスはピカイチで、欧州プレミアムと比較してもいいレベル。筆者(山本シンヤ)は当時の記事で、「オデッセイの原稿は車名を入れなければミニバンのインプレッションだとわからない」と記したのを覚えています。
5代目で3代目、4代目に乗ってるオーナーが「タワーパーキング対応でなくなくなって
物理的に駐車不可になって買い替えの候補から外された」というのは大きな致命傷だった
初代、2代目のオーナーなど高さを気にしない客は既にステップワゴンや他社ミニバンに持ってかれてた
背が低いミニバンが不人気と言う話は若干間違いで
「スライドドアが持ち上げられてる」のが実態だから
トヨタ・ラウムみたいに背は伸ばさずタワーパーキング対応のままスライドドアにするべきだった
当時流行りのワゴンがなく
アコードのプラットホームに
ホンダの製造ラインの最大サイズが
初代オデッセイとなった