首都高の出入口なぜ廃止? 57年で役目終えた「江戸橋」と「呉服橋」 今後はどうなる?
首都高速道路都心環状線の江戸橋出入口と呉服橋出入口が2021年5月10日午前0時に廃止されました。なぜふたつの出入口は廃止され。今後はどのようになるのでしょうか。
なぜ「江戸橋」と「呉服橋」は廃止されたのか
2021年5月10日午前0時、首都高速道路都心環状線の江戸橋出入口と呉服橋出入口が廃止されました。
57年と4カ月にもわたる役割をこの日終えたということで、多くの人が関心を寄せています。
ふたつの出入口はなぜ廃止され、今後はどうなるのでしょうか。
呉服橋出入口と江戸橋出入口とは、1963年12月21日に首都高都心環状線の呉服橋から江戸橋ジャンクション(当時はインターチェンジと呼称)が開通したのと同時に設けられました。
元々、首都高速道路は1962年12月20日に現在の1号線のうち、京橋から芝浦間(4.5km)が日本初の都市高速道路として開通しました。
その後、前述の通り1963年12月21日に呉服橋から江戸橋間、そのほかに本町から京橋間、芝浦から鈴ヶ森間が開通。
1964年の東京オリンピックを挟んで1967年7月4日に芝公園から霞か゛関間が開通したことにより、都心環状線が完成しました。
首都高速道路建設当時、東京都心部ではすでにビルが密集していたため、土地収用の時間やコストの関係から、路面電車の廃止が進んでいた幹線道路や江戸時代以来の水路の上部に建設するルートがとられました。
その結果、日本橋の上を首都高が通ることになったのです。
日本橋は国指定の重要文化財で、国道1、4、6、14、15、17、20号線の起点となっています。また、古くから街道の起点であることから「日本国道路元標」が設置されています。
このような意味を持つ日本橋の上を高速道路の高架橋が通っていることを、景観上好ましくないとする意見は当時からあったようです。
さらに、開通から60年近く経過して首都高の橋脚も劣化し、改修する必要がありました。
首都高速道路のこの区間は、1日の通行台数が10万台とされており、構造物の損傷が激しく、これまで応急措置で対応してきましたが、地下化することで抜本的に解決することとなりました。
計画では、現在の神田橋ジャンクションから江戸橋ジャンクションまでを地下化して、6号向島線につなぎます。
その工事のため、江戸橋出入口と呉服橋出入口が閉鎖されることとなりました。
なお、首都高の出入り口閉鎖は、中央環状線延長に伴い高松出入口が廃止されて以来、2例目となります。
この工事が完成すると、これまで都心環状線内回りで江戸橋ジャンクションを経由して羽田空港へ向かっていたルートは八重洲線を経由することとなり、例えば神田橋から銀座出口へは行けなくなります。
また、八重洲線から接続するKK線が大型車の通行に対応していないことから、この部分の対応をどうするかなど、解決すべき問題も残されています。
江戸橋と呉服橋の廃止について、首都高速道路の広報部担当者は以下のように話します。
「江戸橋と呉服橋の出入り口は、地下にトンネル建設することになったため廃止となりました。
廃止となったことで、都市部の大きな事業として注目度は高かったように思います。
今後、トンネルをつくることで老朽化した首都高の再生や、江戸橋ジャンクションの構造の見直しによって、渋滞の改善が期待される、走行性の向上などが期待されています」
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今回、呉服橋出入口と江戸橋出入口の廃止に伴い、この出口を利用していた東京駅を終点とする高速バスにも影響が出ています。
このうち、ジェイアールバス関東では対象となる路線の東京駅到着時刻が5分繰り下げられました。
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