メーカーの危機を救った立役者!? 起死回生のヒットとなった車3選
新型車の開発には莫大な費用がかかり、車種によっては数百億円規模になるといわれています。そうした開発費や設備投資を数年で回収できなければ、メーカーは経営難に陥るわけですが、そんな状況を打破したヒット作が存在。そこで、起死回生の1打になったクルマを3車種ピックアップして紹介します。
ヒットしたことでメーカーを救ったクルマを振り返る
自動車メーカーが新型車を開発する際には、莫大な時間、労力、そして資金がかかり、開発費だけでも数百億円規模になるといわれています。
開発費以外にも設備投資や研究費など、メーカーはさまざまな投資をおこないますが、そうした費用を回収できなければ、当然ながら経営難に陥ることになりかねません。
そこで、経営難から起死回生の1打となったクルマを、3車種ピックアップして紹介します。
●ホンダ「ステップワゴン」
1990年代の初頭、いわゆるバブル崩壊は日本の自動車産業を直撃し、各メーカーとも収益の悪化が避けられませんでした。
そのなかの1社であるホンダは、当時、三菱銀行がメインバンクだったことから、三菱の傘下になるのではと噂が出たほどです。
そうした状況のなか、1994年に初代「オデッセイ」を発売し、それまでにない乗用車と変わらぬ乗り味のミニバンとして、ヒット作となりました。
さらに、次の一手として登場したのが、1996年に発売された初代「ステップワゴン」です。
オデッセイは北米での販売を計画していたことから、3ナンバーサイズのボディで後部ドアはヒンジドアとなっていました。
一方、ステップワゴンは5ナンバーサイズに収めながらも、FFのメリットを生かして広い室内空間を実現し、後部ドアも片面のみでしたがスライドドアとなっており、子育て世代のファミリー層をターゲットに開発。
価格も3列シート車が179万8000円(東京価格:消費税含まず)からと、オデッセイよりも安価な設定となっていたことから、大ヒットを記録しました。
財務状況が悪化していたホンダですが、オデッセイとステップワゴンのヒットによって救われたといいます。
その後、各メーカーともホンダに追従して5ナンバーサイズのFFミニバンを発売し、一気に普及しました。
現行モデルのステップワゴンは2015年に発売された5代目になりますが、原則5ナンバーサイズを維持し、スクエアなフォルムとするなど、初代のコンセプトを継承しています。
●マツダ「デミオ」
マツダは1980年代の終わりに、車種と販売網の拡充を図るため、5つの販売チャネルを展開していました。しかし、バブル崩壊後は販売台数が下落。
さらに新型車の開発費やバブル期におこなった莫大な設備投資の影響から、経営状態が急速に悪化し、1996年にはフォード出身の新社長が就任するなど、フォードの傘下となって経営の改善を図りました。
その1996年に発売されたマツダ「デミオ」は、同社が製造していたフォード「フェスティバ」のコンポーネンツを流用して、短期間・低コストで開発した小型ステーションワゴンです。
市街地などを走る日常的な利用から、荷物を積み込んで出かける週末のレジャーまで、幅広い生活の場面で多彩な使い方ができることを目指した「マルチパーパスコンパクト」がコンセプトでした。
全長3800mm×全幅1650mm×全高1500mm(ルーフレール付きは1535mm)のボディは、ルーフラインを水平基調にデザインすることで、後部座席のヘッドクリアランスも十分に確保し、大人4名がゆとりをもって乗車できる広い室内空間を実現しています。
また、シートをフルフラットにすることができ、リアシートを倒して荷室を拡大すれば、高い収容力も持っていました。
エンジンは最高出力100馬力の1.5リッター直列4気筒、または83馬力の1.3リッター直列4気筒を搭載。決してパワフルではありませんが、実用には十分な性能を備えており、駆動方式はFFの2WDのみ。
実用性を重視したデミオは日常でも週末のレジャーでも不満がなく、中級クラスのクルマからの乗り換えや、運転のしやすさもあって軽自動車からの乗り換えなど、幅広い層に受け入れられました。
デミオのヒットによってマツダの経営状況は改善し、同時に販売チャネルの統合と車種整理をおこなうことで、経営のスリム化が図られました。