ツーリングの“聖地”北海道にかつて築かれた“松前藩”最後の城へ 「戊辰戦争」の激動を伝える「館城跡」をバイクで訪ねる
北海道南西部、檜山郡厚沢部町に残る「館城跡(たてじょうあと)」は、かつて幕末の動乱期に松前藩が築いた新城です。完成を待たずして旧幕府軍の攻撃を受け、短い役割を終えたこの城跡には、北海道にまで及んだ「戊辰戦争」の記憶が刻まれていました。
北海道の田園に残る松前藩最後の城
北海道の「城跡」と聞いて、まず「松前城(まつまえじょう)」や「五稜郭(ごりょうかく)」を思い浮かべる人は多いかもしれません。しかし道南には、幕末の緊迫した状況を今に伝えるもうひとつの重要な城跡があります。それが檜山郡厚沢部町(ひやまぐんあっさぶちょう)に残る「館城跡(たてじょうあと)」です。
厚沢部町は、函館市街から西へ向かい、江差町方面へ抜ける道南内陸部に位置します。海沿いの松前や江差とはまた違い、山並みと田園風景が広がる穏やかな土地です。バイクで走ると、北海道らしい広い空と、農村地帯の静かな道が続きます。その一角に、「館城跡」は公園として整備されています。
この城の歴史を理解するには、まず明治元年の北海道で何が起きていたのかを知る必要があります。
慶応4年、のちの明治元年(1868年)に始まった「戊辰戦争(ぼしんせんそう)」で、旧江戸幕府は新政府軍に敗れ、「江戸城」も明け渡しました。しかし徳川家に仕えた旧幕臣の中には、新政府への不満や、自分たちの将来への不安を抱く者が少なくありませんでした。
そこで旧幕府海軍を率いた榎本武揚(えのもとたけあき)は、軍艦を率いて品川沖を出航します。榎本たちは東北方面を経て蝦夷地へ向かい、新選組の土方歳三(ひじかたとしぞう)らも合流しました。
彼らの目的は、蝦夷地を旧幕臣たちの新天地とし、開拓と北方防備を担う拠点を築くことにありました。
明治元年10月、旧幕府脱走軍は箱館(現在は函館)へ入り、「五稜郭」を占領します。さらに松前や江差方面へも兵を進め、北海道南部は一気に戦火へ巻き込まれていきました。
のちに榎本を総裁とする仮政権がつくられ、一般には「蝦夷共和国」と呼ばれることもあります。ただし、これは後世に広まった呼び方で、当時の正式な国名として理解するより、旧幕府脱走軍による蝦夷地の臨時政権と見るのがよさそうです。
こうした情勢の中で、松前藩が築いたのが「館城」でした。松前藩の本拠は「福山城(ふくやまじょう)」、現在の「松前城」でしたが、幕末の情勢は大きく揺れていました。
松前藩は従来の城下を離れ、内陸の厚沢部・館村に新たな拠点を築こうとします。「館城」は単なる避難先ではなく、松前藩が新しい時代に望みを託した城だったのです。
明治元年10月26日、「五稜郭」を占領した旧幕府脱走軍は、松前藩の本拠である「福山城(松前城)」へ迫りました。藩主の松前徳広(まつまえのりひろ)は城を離れ、夫人や男子三児、藩士約300人を伴って、まだ工事中だった「館城」へ移ります。
しかし、その時間はあまりにも短いものでした。11月5日に「福山城」を占領した旧幕府脱走軍は、さらに内陸の「館城」へ進軍。11月15日に「館城」は攻撃を受けて松前軍も奮戦しましたが、翌16日に落城したと現地の解説板には書かれていました。しかし現在の厚沢部町公式資料によれば、11月15日その日のうちに落城したそうです。
徳広は家族とともに近臣に守られ、熊石(くまいし)方面へ逃れたと伝わります。
翌年、明治2年になると新政府軍は北海道へ反撃を開始します。箱館湾(現在は函館湾)や各地で戦いが続き、土方歳三は戦死。榎本武揚ら旧幕府脱走軍は「五稜郭」で降伏し、ここに「戊辰戦争」は終結しました。
つまり「館城跡」は、「戊辰戦争」が北海道へ移り、「箱館戦争」へと展開していく過程を知るうえで、とても重要な場所なのでした。

「館城」が築かれた場所は、現在の厚沢部町字城丘です。現地の解説板によれば、城は南側に深い山を背負い、濁川(にごりかわ)と糠野川(ぬかのがわ)を利用するように構えられていました。
周囲には土塁や堀を巡らせ、南口に表門、北側に裏門を設け、本丸、武士部屋、米倉などを備える計画だったとされています。
とはいえ、実際の城は完成していません。築城途中で戦いの場となり、落城後は建物も失われました。そのため現地で見られるのは天守や櫓ではなく、土塁、井戸跡、城碑、そして城の輪郭を示す案内板などです。それでも、城跡として歩いてみると、地形を利用しながら急造された拠点だったことが見えてきます。
印象的なのは、城跡がとても開けた場所にあることです。山城のような険しさではなく、丘陵地に広く構えた陣地という雰囲気があります。
公園内には栗の木が多く、「館城跡」の案内板も手作り感のある素朴なデザインです。観光地化されすぎていないぶん、かえってこの土地に刻まれた歴史と向き合いやすい場所とも言えます。
「館城跡」では、毎年6月上旬から中旬ごろに「館城跡まつり」も開かれています。旧幕府脱走軍との戦闘で落城した歴史を語り継ぐための祭りで、地域の人々によって続けられてきました。
現地で見かけた祭りのポスターからも、この城跡が単なる史跡ではなく、地元の記憶として大切にされていることが伝わってきます。
「館城」は未完成のまま戦場となり、短い時間で役割を終えました。その静かな跡地に立つと、北の大地にも確かに「戊辰戦争」の激動が届いていたことを、強く感じるのでした。
Writer: くるまのニュース編集部
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