なぜ? 高速道路の休憩施設「大黒PA」が週末の夜に閉鎖される理由
大黒パーキングエリア(以下:PA)に90年代終わり頃から音響系、ローダウン、ドリフト車などの改造車が多く集まるようになり、「大黒デビュー」なる言葉も生まれました。
大黒PAが最初に閉鎖されたのは2003年2月
大黒パーキングエリア(以下:PA)は、改造車の聖地とも呼ばれ、普段はなかなかお目にかかれないクルマなども集結することで有名です。その大黒PAが公共の施設であるにも関わらず、週末の夜はたびたび閉鎖されるといいます。
大黒PAは1989年9月、首都高速神奈川5号大黒線および、横浜ベイブリッジの開通と同時にオープンしました。当初は、バブル絶頂期ということもあり高級車で訪れるカップルが後を絶たず、ドライブデートの定番スポットとなり、クリスマスシーズンには山下公園前あたりから数時間の渋滞が続くのが恒例でした。
大黒PAに車好きが集まり始めたのは90年代半ば頃で、パソコン通信「ニフティサーブ」の自動車フォーラム「FCAR」や輸入車フォーラム「FICAR」のメンバーによる「オフ会」の場所として箱根と共に人気を集めました。
90年代終わり頃からは音響系やローダウン車、ドリフト車など週末の夜に関東一円から大黒を目指して多くの改造車やギャラリーが集まるようになり、トイレや売店を利用する一般の車は近寄り難い雰囲気となっていました。「大黒デビュー」なる言葉も生まれたのもこの頃です。
しかし近年は、週末の夜にたびたび閉鎖されるようになった大黒PA。最初に閉鎖され、同時に不正改造車の取り締まりが行われたのは2003年2月のことでした。
公共の施設である高速道路の休憩施設が閉鎖されるのは、全国的に見ても珍しい状況(他に、同じ首都高速の辰巳PAが大黒と同様の理由でしばしば閉鎖)です。大黒PAを管理している首都高速道路公団の広報室に聞いてみました。