世界中のクルマ好きを熱狂させる「GR」ブランド。その源流には、数々の挑戦的な限定モデルの存在がありました。

　中でも伝説として語り継がれているのが、2012年に登場した「iQ GRMN スーパーチャージャー（以下、iQ GRMN）」です。

　iQ GRMNは、トヨタのマスターテストドライバーであった故・成瀬弘氏ら、ニュルブルクリンクの“マイスター”たちによって鍛え上げられた証である「GRMN」の名を冠しています。

　iQのGRMNモデルには2つの世代が存在し、2009年にシャシー性能の向上に主眼を置いた100台限定の「iQ GAZOO Racing tuned by MN」が発売され、わずか1週間で完売するほどの人気を博しました。

　その熱狂的な需要に応え、GRMNの哲学をさらに推し進める形で生み出されたのが、2012年のiQ GRMNです。

　そのコンセプトは「見る者・乗る者をトリコにする、スパイスの効いたマイクロレーサー」。このクルマも100台限定で、価格は355万円と、ベース車の価格の倍以上でした。

　その価格に見合うほど、中身は完全に別物へと進化を遂げていました。

　外観で最も目を引くのは、滑らかに張り出したブリスターフェンダーです。これにより全幅は1705mmにまで拡幅され、全長3140mmの小さなボディながら堂々とした3ナンバーサイズとなっています。

　専用のフロントバンパーや大型のリアルーフスポイラー、そしてセンター出しマフラーが、ただならぬ雰囲気を醸し出していました。

　インテリアも走りのために刷新されました。

　サイドサポートが強化されたブラックとレッドの専用スポーツシートがドライバーを迎え、GRMNロゴ入りの本革巻きステアリングや200km／hスケールのスピードメーター、そして独立したタコメーターが気分を高めます。

　心臓部には、標準の1.3リッターエンジンにスーパーチャージャーを搭載。最高出力は122PS、最大トルクは174N・mへと、実に30％以上も向上させています。

　このパワーを余すことなく路面に伝えるため、専用開発されたクロスレシオの6速マニュアルトランスミッションが組み合わされました。シャシーも強化ブレースで剛性を高め、リアブレーキをディスク化するなど、徹底したチューニングが施されています。

　では、ベースとなった「iQ」とはどのようなクルマだったのでしょうか。

　2008年に登場したiQは、「マイクロプレミアム」をコンセプトに、高品質と先進技術を全長3m未満のボディに凝縮した野心的なモデルでした。

　左右非対称のダッシュボードや超薄型シートといった6つの技術革新により、大人3人と子供1人が乗れる「3＋1」レイアウトを実現し、2008-2009年の「日本カー・オブ・ザ・イヤー」を受賞するなど、専門家からは高く評価されました。

　しかし、市場での評価は大きく分かれていました。SNSなどを見ると、GRMNモデルに対しては「小さな爆速カー」「加速がすごい」といった絶賛の声が並びます。

　一方で、標準のiQに対しては「デザインは可愛い」「小回りが利く」という好意的な意見があるいっぽうで、「1リッター車はパワー不足」「価格の割に実用性が低い」といった厳しい声も少なくありません。

　この評価の差が、ベース車と限定車の運命を分けました。標準のiQが1代限りで2016年に生産を終えた最大の理由は、その価格と実用性のバランスだといえるでしょう。

　iQは軽自動車より維持費が高く、同価格帯の「ヴィッツ」と比べると室内や荷室の広さで見劣りしました。革新的なコンセプトも、多くの消費者にとっては合理的な選択を覆すほどの魅力にはならなかったのです。

　一方でiQ GRMNは、現在の中古車市場で驚くべき価値を維持しています。

　標準のiQが平均50万円台から60万円台で取引されるなか、iQ GRMNは300万円台前半から、状態の良い個体では新車価格を上回る580万円近い価格で取引されています。

　100台限定という希少性と、唯一無二の“マイクロレーサー”というコンセプトが、本物を知るエンスージアストたちの心を掴んで離さないのです。

　クルマ好きとして知られるマスタードライバー、トヨタの豊田章男会長がiQ GRMNを所有していることがその何よりの証拠でしょう。

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　iQは商業的には成功しなかったかもしれませんが、その挑戦的なエンジニアリングは後の小型車設計に影響を与えました。

　そして何より、iQという類まれな素質を持つクルマがあったからこそ、GRMNという“隠された宝石”が生まれ、現代のGRブランドへと続く道を切り拓いたのです。

　iQ GRMNは、トヨタの「もっといいクルマづくり」の情熱を体現した、小さくも偉大な伝説として輝き続けています。