“新車”で買える「超レトロ車」がスゴイ! “めちゃ個性的”なクルマを作る「光岡自動車」ってどんなメーカー!? “情熱”が支える「夢のあるクルマづくり」の歩んだ57年の歴史とは!
光岡の更なる夢!「オリジナルモデル」の開発
また光岡氏はレプリカ路線と並行して、更なる夢の実現にも舵を切っており、それは「オリジナルモデルをつくる事」でした。
その1台が1996年に発売された「ゼロワン」です。
ゼロワンはパワートレインについてはマツダから供給を受けたものの、フレームを含めた基幹部品は全て自社設計して開発。
更に道路運送法に定めるところの「組み立て車」として運輸省(当時)から型式認定を交付されたのです。
これが何を意味するのかと言うと、光岡自動車が“正式”な自動車メーカーとして認められたと言う事。
これは1967年のホンダ以来、実に32年ぶりとなる快挙でした。そのため、ゼロワンの車検証の車名欄には、メーカー名にしっかり「ミツオカ」と記されています。
そしてもう1台のオリジナルモデルが、2006年に登場した「オロチ」です。

元々は2001年開催の「第35回 東京モーターショー」において、光岡自動車を表現するために出展された純粋なコンセプトカーでしたが、お披露目するやいなや「市販化してほしい」と言う声が殺到。
光岡氏は市販化を決断しますが、そのコンセプトは「誰にでも乗れるスーパーカー」。つまり性能を競うのではなく、見た目を競う事を目的にしたモデルなのです。
とは言っても中身は本格的で、独自の衝撃吸収装置を付けたスペースフレーム構造のシャシーや、ツインショックのリアサスペンションなど、完全なオリジナル設計を採用。
パワートレインは、トヨタから供給を受ける3.3リッターのV型6気筒エンジンと5速ATの組み合わせで、速さよりも扱いやすさやスムーズさを重視したモノでした。
このオロチには筆者も何度か試乗しましたが、独特のボディ形状ゆえに車両感覚がつかみにくい事以外は、極めて“普通”。
従来のスーパーカーが苦手とする一般道はもちろん、長距離移動さえ苦にしない扱いやすい走りに驚いたのを今でも覚えています。
オロチの当初の発売目標台数は400台でしたが、2007年の発売から7年で約130台を発売し、海外向けには2桁台数が出たと言います。
ちなみに光岡自動車の公式サイトで会社概要の中にある「部門別売上比」を見ると、輸入車ディーラー事業+BUBU中古車事業が売上の77%を占め、開発車事業(ミツオカ車の開発・販売)は10.9%となっています。
ビジネスとしては苦しい所もありますが、「これを売って儲けよう」ではなく「こんなクルマを作りたかった」という、クルマ屋としての“想い”や“情熱”が支えているのでしょう。
これからも常に時代の変化にマッチさせた自由な発想とデザインで、他にはない「夢のあるクルマづくり」に挑戦してくれる事を信じています。
Writer: 山本シンヤ
自動車メーカー商品企画、チューニングメーカー開発を経て、自動車メディアの世界に転職。2013年に独立し、「造り手」と「使い手」の両方の想いを伝えるために「自動車研究家」を名乗って活動中。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。
































































































