いすゞが斬新クーペ「アッソ・ディ・フィオーリ」実車公開! パカッと少し開く「リトラライト」ד匠”デザイン採用の「スペシャリティモデル」! 市販に繋がった“幻のモデル”とは

「オートモビル カウンシル2025」の主催者テーマ展示で展示された「アッソ・ディ・フィオーリ」。かの有名なジウジアーロ氏が手掛けたモデルですが、どのようなクルマなのでしょうか。

「ショーモデル」なのに“ほぼそのまま”市販

 新旧モデルが集った今年の「オートモビル カウンシル2025」では、大衆向けモデルのフィアット「パンダ」から、最新のEVスポーツカー バンディーニ「ドーラ」まで、ジウジアーロ・デザインのクルマが10台集結。
 
 なかでも、いすゞ「アッソ・ディ・フィオーリ」には大きな注目が集まっていました。

いすゞ「ピアッツァ」のベースとなった「アッソ・ディ・フィオーリ」
いすゞ「ピアッツァ」のベースとなった「アッソ・ディ・フィオーリ」

 日本を代表するトラック・バスメーカーのいすゞは、かつて「ベレット」「フローリアン」「117クーペ」「ジェミニ」「アスカ」などの乗用車、そして「ビッグホーン」「MU」「ビークロス」といったSUVの生産も行なっていました。

 イタリアの名デザイナーであるジョルジェット・ジウジアーロ(ジュジャーロ)氏がデザインを手がけたクルマも多く、1981年に117クーペの後継車として誕生した、スペシャリティカーの「ピアッツァ」もその1台です。

 シンプルな各部のデザイン処理、窓と車体の段差を限りなく減らしたフラッシュサーフェス処理、サッシュレスのプレスドア、美しいサイドビュー、明快なグラフィックは、登場後45年近くを経た現代でも、色褪せることがない美しさを誇ります。

 同時期の国産車は、大きな抑揚とディティール多めのボディ、上部に雨樋が走る段差の大きなサッシュドア、明らかに別体式の大きなメッキバンパーを持つ、1970年代設計の車種が数多く販売されていました。

 ピアッツァはそれらのクルマとは明らかに一線を画しており、まるでショーに展示されるコンセプトカーのような雰囲気を放っていました。

 それもそのはず。というのも、ピアッツァはジウジアーロ・デザインのショーモデルを量産化してしまった、「夢のようなクルマ」なのです。

 1970年代前半から、ジウジアーロ氏は「アッソ(イタリア語でA=エース)」シリーズというデザインスタディを展開していました。

 まず登場したのは、1973年の「アッソ・ディ・ピッケ」(スペードのエース)で、アウディ「80」をベースにシャープなクーペボディを構築。

 ドアと窓の角度から、窓が下降できないのでは、と思うのですが、窓が7cm内側に移動して下がるという驚きの構造の特許を、ジウジアーロ氏率いるイタルデザインでは取得していたといいます。

 続いて1976年にはBMW「320」を用いた「アッソ・ディ・クァドリ」(ダイヤのエース)を発表。

 黒いノーズの中に、ヘッドライトと“キドニーグリル”を収めてBMWの記号性を堅持。平滑な窓処理、エッジ部の丸み、ルーフライン、「十」の字のようなホイールも特徴でした。

 そして1979年。アッソ・シリーズの最終作である「アッソ・ディ・フィオーリ」(クラブのエース)」が出現します。

 これこそが、1981年から発売を開始した“量産型”ピアッツァの原型となったモデルです。

 量産の際、車体寸法の変更などが行われたため、実際にピアッツァと並べると、ボンネット高さの違いなどから印象が微妙に異なります。

 しかし、アッソ・ディ・クァドリの要素をさらに洗練した各部のディティール、例えば広い居住空間とスタイリングを両立するフォルム、少しだけ開くリトラクタブルヘッドライト、センターのガーニッシュと呼応するようなテールライトデザイン。

 サテライトスイッチとデジタルメーターを持つクラスターが飛び出た薄いダッシュボードなどの意匠は、そのままピアッツァに受け継がれました。

 イタルデザインでは、量産化を前提としたデザイン・設計を行っていたものの、ショーモデルのままでは量産化は難しいだろう、とメーカーやメディアから評されていました。

 しかしいすゞとイタルデザインは、量産化に向けた作業に着手。検討を重ねた結果、ショーモデルの美点と実用性を兼ねたクルマとして開発することに成功したのです。

 それだけにピアッツァの登場は、当時驚きを持って受け止められました。その仕上がりの高さから、いすゞに嫉妬を抱いたメーカーもあったそうです。

 その後、アッソ・ディ・フィオーリはいすゞが保有していたものの、デザインセンターの倉庫に置かれたままの状態が続きました。

 しかし2000年、いすゞ社内から有志が集まってアッソ・ディ・フィオーリのレストアがスタート。約1年半かけて美しく復元されました。

 当時いすゞには自社ミュージアムがなかったため、アッソ・ディ・フィオーリはトヨタ博物館が保管していましたが、2017年にいすゞの創立80周年記念事業として「いすずプラザ」が開館したことで、いすゞに「里帰り」を果たしています。

※ ※ ※

 コンセプトカーやショーカーの多くは、そもそもエンジンがない「モックアップ」だったり、実動可能なモデルでも保管の間に不動になったりすることが多いです。

 しかし、なんとアッソ・ディ・フィオーリはオートモビル カウンシルの会場に、自走で搬入。SNSで大きな話題を呼びました。

 さらにジウジアーロ氏本人がアッソ・ディ・フィオーリと一緒に並んだり、ボンネットにサインを入れるなどサプライズが連続。

 今回のオートモビル カウンシル2025はたいへんな盛り上がりを見せたのです。来年はどのような驚きがあるでしょうか。今から楽しみです。

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Writer: 遠藤イヅル

1971年生まれ。自動車・鉄道系イラストレーター・ライター。雑誌、WEB媒体でイラストや記事の連載を多く持ち、コピックマーカーで描くアナログイラスト、実用車や商用車・中古車、知られざるクルマの記事を得意とする。

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