ヤマハが誇る“絶版名車”「RZ250」がスゴかった! 軽量×高出力の“ピュアスポーツ”バイク! 逆風の時代に挑んだ最後の「“2スト”モデル」とは
異例の熱狂とともに始まったレーサーレプリカ時代
RZ250が日本で初めて姿を現したのは、1979年の「第23回東京モーターショー」です。ヤマハブースには多くのファンが詰めかけ、身動きが取れないほどの盛況ぶりだったといいます。

パールホワイトの燃料タンク、炎をモチーフにしたキャストホイール、多段チャンバー型マフラー、大型の黒いラジエター、アルミバフ仕上げのステップブラケットなど、レーシングマシンさながらの迫力あるデザインも話題を呼びました。
単なる高性能バイクではなく、“スタイルを持ったスポーツマシン”としての個性が、RZ250の存在感を際立たせたのです。
発売前から期待が高まる中、1980年8月の正式発売後は全国の販売店に予約が殺到。試乗会にも異例の行列ができるなど、RZ250は瞬く間に計画台数を超える大ヒットを記録しました。発売前にもかかわらず、専門誌の年間人気ランキングで首位を獲得するなど、その注目度の高さがうかがえます。
1981年には兄弟モデル「RZ350」が登場し、45馬力、パワーウエイトレシオ3.17kg/PSという高性能を誇りました。その実力から“ナナハンキラー”とも呼ばれ、存在感を放ちます。
このRZシリーズの成功により、沈静化しつつあった2ストロークスポーツ市場は再び活気を取り戻し、他メーカーも追随。250ccや400ccクラスを中心に、レーサーレプリカブームが一気に花開いていきました。
このムーブメントは、単に市場トレンドを変えただけではありません。ライダーたちに“走りの楽しさ”や“バイクのスタイル”という新たな価値観を再認識させ、やがて1980年代の空前のバイクブームへとつながっていきます。
RZ250は1988年の最終モデルをもって生産終了しましたが、その存在は今も多くのファンの記憶に深く刻まれています。
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ヤマハが誇る2ストローク技術の結晶として生まれ、時代の逆風に挑んだRZ250は、レーサーレプリカブームの火付け役となり、“最後の2ストロークピュアスポーツ”として歴史に名を残しました。今なお語り継がれるその存在は、多くのライダーの心を捉え続けています。
Writer: くるまのニュース編集部
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