モータースポーツ界注目の日本人ドライバー! 勝田貴元選手ってどんな人? 世界で活躍するトップ選手の生い立ちとは?
未経験の難しさに挫折も… 乗り切った強さは「糧」となった
ついにラリー転向を決めた勝田選手ですが、これまでのレースとは全く異なる競技の特性に心を折れそうになることもあったようです。
「辛いときはいっぱいあって、向いていないのかなと思うときもいっぱいありました。
(調子が)いいときもあるんですが、悪いときには考えすぎちゃって。『もう辞められたら楽になるのかな』とかそういうことはもちろん考えました。
ただ、辞めた瞬間にそれまでの努力はもちろん、応援してくれている人、家族はもちろん、スポーツはひとりじゃできなくて、自分が走るためにはサポートしてくれる人がいっぱいいて、その人たちを裏切ることになるので、なんとかして結果を出したい。
応援を(形として)返したいっていうのが、辞めたい気持ちのブレーキにも原動力にもなりました」
一番辛かった時期は2016年から17年の時期、TGRラリーチャレンジプログラム(現:WRCチャレンジプログラム)の育成ドライバーとしては2年目のころだったと振り返ります。
「一番辞めたいと思ったのが、ラリーに転向して2年目のとき。難しさに直面して速さを出せない中でクラッシュが続いてしまったときです。
『自分はラリーに来るべきじゃなかったのかな。こんな辛い思いをするならレースを続けていたほうが良かったかな』っていうのは本当に思っていました。
それでも、諦めてレースにぱっと帰ったら超ダサいし、転向するときに『レースは大好きだけど(レースを)辞めるって決めたんだから、行けるところまでいこう。ラリーを辞めるときはモータースポーツ全部辞めるときだ』と思いました」
辛い状況では、ラリーへの転向した覚悟や応援してくれる人の存在を思い出して乗り切り、さらに勝田選手を奮い立たせる出来事がありました。
「2017年の一番辛いときに、17年末に僕は結婚しているんですよ。2018年に子どもが産まれて、そのときに責任感というか、この子のためにも本当にこの世界でやりきらないとっていうモチベーションも生まれました。
奥さんの存在と娘が産まれたこと、それはすごく大きかったと思います」
こうしたなか、WRC2018年シーズン第2戦「ラリー・スウェーデン」ではWRC2カテゴリで初優勝を果たしました。
続く2019年では、WRC第6戦「ラリー・チリ」で同カテゴリ優勝、トップカテゴリマシンであるWRカーで参戦した「フィンランド・ラリー選手権」では2戦2勝、初のトップカテゴリ参戦となった「ラリー・ドイチュラント」でも10位入賞を記録。
以後も、勝田選手の活躍はとどまることを知らず、2020年ではトップカテゴリで5戦に出場し、2021年には第6戦「サファリ・ラリー・ケニア」で総合2位に入り初表彰台獲得という快挙を見せ、ドライバー選手権でも7位を獲得しています。
2022年では、12年ぶりに開催されたラリージャパンで総合3位に入るなど母国の表彰台に立つことができました。
「日本人選手として責任感とかプレッシャーがあったなかで、昨年のラリージャパンでは表彰台に乗れたっていうのは良かったと感じています」
2023年ではついにトヨタのトップチームへと昇格を果たした勝田選手は、第9戦ラリー・フィンランドで今季最上位となる3位を獲得するなど、すでにトヨタチームを支えるドライバーとしての地位を確立しました。
「今年のラリージャパンでは、昨年で新しくラリーのことを知ってくれた人もたくさんいると感じたので、この流れがずっと続いてより大きな『輪』になればいいなと感じますね」
覚悟を決めたラリー転向から9年目。カート競技から始まり、今や世界で活躍するトップドライバーとなった勝田選手は、9月7日から10日にかけて開催された第10戦「アクロポリス・ラリー・ギリシャ」でも総合6位を獲得。
2023年シーズン最終戦を飾る地元開催のラリージャパンをはじめ、残る3戦での活躍にますます期待が高まっています。
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