ホンダ3代目「プレリュード」 「トレンディー」なクルマの代名詞、大ブレイクの理由
バブル期、いわゆる「スペシャルティカー」と呼ばれるクルマが大いに流行しましたが、その代名詞ともいえるのがホンダの3代目「プレリュード」でしょう。大ブレイクしたのには、もちろん理由があります。
3代目「プレリュード」、あのころホンダも若かった
現在のホンダに「オシャレ」なイメージを抱く人は、どれくらいいるのでしょうか。どちらかといえば、ロボットやジェット飛行機、燃料電池車など技術の最先端なイメージや、ミニバンなどのアットホームなイメージを持つ人が多いのではないでしょうか。しかし、かつてオシャレなイメージでホンダが見られた時代がありました。それが1980年代の後半です。
振り返れば1980年代は、どんどんクルマが身近になり、そして豪華になった時代です。モータリゼーションが到来して、ようやく普通の人がクルマを購入できるようになったのは1960年代のことですが、それでもクルマは非常に高額で、家と同じような思い切った決意で購入するものでした。それが1970年代になると、手頃な価格のクルマが出回り始め、普通の人もどんどんクルマを買うようになりました。そして1980年代は中古車流通も整い、若者がクルマを購入できる時代になります。若い男女がクルマでデートするのは当たり前になっていました。
そのころのホンダのイメージは、いまとは異なります。本田宗一郎氏が裸一貫で戦後に創業したホンダは、いまでいえばベンチャー企業です。1970年代から1980年代にかけて、ホンダは若い企業ならではのフレッシュな感覚のクルマを数多くリリースします。「シビック」も「シティ」も、当時は斬新な印象です。
ちなみにいまでは、小型乗用車のスタンダードとなっているFF(前輪駆動)が普及したのも1980年代でした。そのため当時、FFといえば、「新しい技術」というイメージもあり、そしてホンダは初期からFFを推しているメーカーのひとつです。
また、積極的にF1などのモータースポーツへ参加したのもホンダの特徴でした。そうした1980年代のホンダは、フレッシュで若々しいイメージでとらえられていました。