1億円超えは確実か!? トヨタ「2000GT」ホワイトボディ輝く個体が中古車市場に見参! 337台中の1台とは
日本を代表する名車として名高いトヨタ「2000GT」が、中古車市場に登場して話題となっています。2000GTとは、いったいどのようなモデルであったのでしょうか。
日本車のイメージをくつがえしたトヨタ「2000GT」
「日本を代表する名車」を10台挙げたとき、トヨタ「2000GT」はまず間違いなくそこに名を連ねる1台です。
そんな2000GTが中古車市場に登場して話題となっていますが、いったいどのようなモデルであったのでしょうか。
1967年から1970年にかけて生産・販売された2000GTは、それまでのトヨタ、そして日本車のイメージを大きくくつがえす流麗なボディラインと、ワールドクラスのパフォーマンスによって、世界に大きな衝撃を与えました。
高度経済成長期のまっただなかにあった1960年代の日本は、国民の多くがクルマを持つようになったことに加え、アメリカをはじめとする海外市場へと日本車が積極的に輸出されるようになっていました。
一方、その当時の日本車はコンパクトで経済的な実用車が中心であり、欧米の自動車メーカーのようなスポーツカーやグランドツーリングカーはほとんどラインナップされていませんでした。
スポーツカーやグランドツーリングカーは、多くの販売台数が期待できるものではありませんが、ブランドのイメージリーダーとして重要な役割を果たします。
当時のトヨタには「スポーツ800」という小型のスポーツカーがラインナップされていました。
しかし、800ccの2気筒エンジンは世界の基準から見るとあまりに小さかったことから、2000ccクラスのエンジンを持つスポーツカーの開発が求められました。
そうした背景からはじまった2000GTの開発ですが、設計や生産の一部をヤマハが担当することになります。
ヤマハは1959年にヤマハ技術研究所を設立し、スポーツカーなどの開発に挑戦していましたが、経営難などから1962年に解散してしまっていました。
その後ヤマハ技術研究所は、日産との業務提携によってスポーツカーの開発を進めていましたが、それもほどなくして終了しています。
一方のトヨタは、かつてないハイパフォーマンススポーツカーの開発・生産に不安を抱えており、ノウハウを持っていたヤマハの力を得るべく、トヨタとヤマハの業務提携が実現することになりました。
2000GTの大きな特徴のひとつとして、ウォールナットやローズウッドといった木材を活かした質の高い内装が挙げられます。
これは、ピアノなどの楽器製造を源流に持つ、ヤマハの木工技術の高さによって実現したものといわれています。
そうして完成した2000GTは、ロングノーズ・ショートデッキという当時のスポーツカーらしいプロポーションと豪華な内装を持ち、さらには220km/hという、2リッタークラスのスポーツカーとしては当時世界最高クラスのパフォーマンスを持つモデルとなりました。
発売当時の価格は238万円であり、現在の物価に換算すると2000万円クラスの高級スポーツカーです。
しかし、それほど高額な価格設定でありながらも2000GTの生産コストに見合うことはなかったといわれています。
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