こんなはずじゃなかったのに… バブル崩壊に飲み込まれた不運なクルマ3選

1990年に始まったバブル崩壊。そのころは、好景気のときに企画されたクルマや景気悪化に対処したクルマ、不景気疲れの当てが外れたクルマなど、翻弄されたクルマがありました。バブル崩壊に飲み込まれた不運なクルマにはどのようなモデルがあったのでしょうか。

開発に時間がかかるクルマは急な路線変更が難しい

 現在の日本は「失われた30年」といわれますが、それでもこの30年間には好景気と不景気がありました。

 好景気はともかくとして、不景気には適切に対応しないと会社経営にも影響します。

 どの会社も対応策を取るものですが、対応の教科書があるわけでもなく、自社内で考えたり市場調査をしたりしながら対応しますが、クルマの開発は時間がかかるために、景気後退や人々の考え方の変化に対してすぐには対応出来ません。

 そのため、バブル期に企画された車種がバブル崩壊後にそのまま発売されたり、不景気に合わせた車種が市場に受け入れられなかったりするなど、時代感覚に合わないクルマが登場しました。

 バブル崩壊に飲み込まれた不運なクルマを、バブル崩壊初期、中期、後期に分けて3台紹介します。

「肥大化」と評価を受けた日産6代目「シルビア」(S14型)
「肥大化」と評価を受けた日産6代目「シルビア」(S14型)

●バブル崩壊初期:日産「シルビア(S14型)」

 日産「シルビア」は、S13型がバブル景気中に大ヒットしつつ、モデルライフの途中でバブル崩壊を迎えました。

 そして当時としてはやや長めの5年5か月のモデルライフの後、1993年10月にS14型へフルモデルチェンジされます。

 バブル期の人々はクルマに豊かなイメージを求めていたことから、S14型は「S13型に対して落ち着いた上品な雰囲気のスタイルや内装」で登場。バブル期のデートカー需要を考えれば、ごく当然のことです。

 しかもS13型後期の頃は、まだ「今は景気循環に伴う後退で、3年間も経てばまた景気が良くなる」といわれた時代であり、バブル期の企画でもいけると判断されたのでしょう。

 クルマとしてのスペックは、S13型のSR20DETエンジンとSR20DEエンジンをそれぞれ205馬力から220馬力、140馬力から160馬力にパワーアップ。ボディは3ナンバーサイズに拡幅されていました。

 これらエンジン出力の向上やトレッドの拡幅により走りの性能は確実に向上、スタイルの上でも余裕ある雰囲気を演出したのです。

 しかし、S14型に対する市場の評価は「肥大化」であり、決して良い評判とはいえませんでした。

 加えてバブル崩壊に伴う男性の収入減などによるデートカー需要低下もあり、1995年には目標販売台数が5000台から2500台へと半減してしまいます。

 そこでS14型は1996年6月に大幅なマイナーチェンジを実施し、路線を変更したのでした。

 フロントマスクは「ツリ目」とし、テールもワイドさを強調したものに変更。CMには当時人気だった女優の宝生舞さんを登用して強く印象付けました。

 その結果、この頃から盛り上がりを見せた「走り屋ブーム」と相まって人気はやや回復し、1997年1月には「SEシリーズ」、同年10月には専用ターボチャージャーと大型リアスポイラーを持つ250馬力の「オーテックK’s MF-T」を追加します。

 市場の動向をフィードバックし、デートカーから走りの性能を磨いたクルマへと路線変更して対応したのがS14型シルビアだったのです。

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