バブルは弾けたけどバブリーなクルマだった!? 1992年に発売された迷車3選

1980年代の終わりから1990年代初頭にかけて日本は好景気にわいていました。いわゆる「バブル景気」です。しかし、1991年にバブルは弾け、景気は一気に下降線をたどりました。そこで、バブル崩壊後の1992年に登場した迷車を、3車種ピックアップして紹介します。

バブル崩壊後の1992年にデビューした迷車たち

 日本の元号が昭和から平成へと変わったのが1989年。この年を前後して日本は好景気にわいていました。いわゆる「バブル景気」です。

バブル期に開発され1992年にデビューした珠玉の迷車たち
バブル期に開発され1992年にデビューした珠玉の迷車たち

 土地や建物などの不動産や株価が著しく高騰し、自動車市場では同時期に数多くの名車が誕生しました。

 しかし、1991年から1992年にかけて不動産や株価の下落が急激に進み、バブル景気は終焉を迎えました。

 ここで注目したいのが1992年に発売されたクルマで、企画・開発されたのがバブル期ながらデビューしたのは崩壊後ということから、非常にユニークなモデルも存在。

 そこで、バブル崩壊後の1992年に登場した迷車を、3車種ピックアップして紹介します。

●オートザム「AZ-1」

もう二度と出ることはないであろう歴史的な軽自動車だった「AZ-1」

 1991年にホンダ「ビート」とスズキ「カプチーノ」という2台の軽スポーツカーが矢継ぎ早に発売されました。ビートは自然吸気エンジンで最高出力64馬力を達成したミッドシップオープンカーで、カプチーノはボディの一部にアルミを使ったFRのオープンカーと、どちらもすごい内容のモデルでした。

 しかし、この2台を上まわるインパクトを放つモデルだったのが、1992年に誕生したオートザム(マツダ)「AZ-1」です。

 AZ-1は今に至るまで軽自動車で唯一無二となるガルウイングドアを採用。2シーターボディのリアミッドシップに最高出力64馬力のスズキ製660cc直列3気筒DOHCターボエンジンを搭載し、概要としてはスーパーカーと変わりません。

 また、シャシは専用に開発されたスチール製モノコックで、外装にはFRPのパネルを多用して軽量化が図られ、車重はわずか720kgを達成。

 この軽量な車体に加え、ステアリングのロック・トゥ・ロックが2.2回転に設定されたクイックステアを採用したころから、シャープなハンドリングを実現していました。

 しかし、足まわりのセッティングが未熟で、アンダーステアから突如オーバーステアに転じることもあるなど、操縦性はかなりトリッキーだったことは否めませんでした。

 AZ-1は軽自動車という枠を超えた存在であり、まさにバブルが生んだ歴史的なモデルといえるでしょう。

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●ホンダ「CR-X デルソル」

優れた走りを実現したもののイメージチェンジが仇となった「CR-X デルソル」

 マツダは1989年にオープン2シーターのFRスポーツカー、ユーノス「ロードスター」を発売。用途が限られるクルマながら異例のヒットを記録し、消えかけていたオープンライトウェイトスポーツカーの火が再燃するきっかけとなり、世界中の自動車メーカーに大きな影響を与えました。

 その後、各メーカーがマツダに追従してオープン2シーター車が次々に登場。そのなかの1台が、1992年発売のホンダ「CR-X デルソル(delSol)」です。

 シリーズ3代目となるCR-X デルソルは、軽量コンパクトな3ドアハッチバッククーペだった初代と2代目から大きくコンセプトを変え、タルガトップのオープン2シーター車へと変貌を遂げました。

 グレード構成はルーフの開閉機構によって2タイプに分かれ、一方はルーフを手動で脱着するオーソドックスなタイプで、もう一方は新開発された「トランストップ」です。

 トランストップはルーフ部分が電動でトランクに格納される非常にユニークなギミックを採用。オープンにする時にはトランクリッドが上昇してそこからアームが伸び、リッド内にルーフを引き込んで下降するというものでした。

 プラットフォームは5代目「シビック」と共通ながらオープン化に伴って強化され、トップグレードの「SiR」には最高出力170馬力を発揮する1.6リッター直列4気筒VTECエンジンを搭載。路面追従性に優れた4輪ダブルウイッシュボーンサスペンションと相まって、FFスポーツカーのなかでもトップクラスの走行性能を誇りました。

 しかし、従来のCR-Xから大きくイメージチェンジを図ったことは不評で、CR-X デルソルはヒットすることなく1998年に生産を終了。この代をもってCR-Xの歴史は幕を下ろしました。

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●日産「レパード J.フェリー」

特徴的なデザインが日本では受け入れられなかった「レパード J.フェリー」(画像は北米仕様)

 冒頭にあるとおり、1989年前後には数多くの名車が誕生しました。なかでも日産は、1988年に初代「シーマ」と「S13型 シルビア」、1989年に「R32型 スカイラインGT-R」と「Z32型 フェアレディZ」、1990年に初代「プリメーラ」を発売して、どれもヒット作となりました。

 これらの名車に続いて1992年に登場した稀代の迷車が「レパードJ.フェリー」です。

 1986年に発売された2代目「レパード」が2ドアクーペだったのに対し、3代目にあたるレパードJ.フェリーはコンセプトを一新。「Y32型 セドリック/グロリア」をベースとした4ドアのラグジュアリーセダンへ変貌を遂げました。

 もともとは北米市場での販売するインフィニティ「J30」として開発され、トップグレードには最高出力270馬力を発揮する4.1リッターV型8気筒エンジンを搭載するなど、セドリック/グロリアよりもハイエンドなモデルでした。

 また、外観も北米市場を意識しており、アメリカの高級車に多く見られたトランクが後方に向かって下がる「尻下がり」のデザインを採用。全体のフォルムも丸みを帯びてボリューム感を強調していました。

 しかし、国内市場では尻下がりのデザインが不評だったのに加え、バブル崩壊後にも関わらず332万円から474万円(消費税抜)と高額な価格設定から販売は極端に低迷。

 そのため、1996年には車名をレパードに戻した4代目が登場し、日本独自のモデルとしてデザインも比較的オーソドックスなスタイルのセダンとなりました。

※ ※ ※

 前述のとおり日産はバブル期にヒット作を次々に発売し、シーマは高級セダンの一大ムーブメントを築いたほどです。しかし、同時期にはすでに日産の財務状況は良好ではなかったといいます。

 日産はバブル以前から過剰な設備投資をおこない、さらに開発費に多額の資金を投入しており、クルマは売れていたものの業績は上がっていませんでした。

 その余波がバブル崩壊後に重くのしかかり、業績はさらに悪化。経営の立て直しを図るため、1999年にルノーの傘下に入ることになりました。

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