国産車の「280馬力自主規制」なぜ存在した? 17年前に規制を突破したホンダ高級セダンとは
かつての国産車に存在した「280馬力自主規制」はどういった経緯ではじまったのでしょうか。軽自動車の「64馬力自主規制」とあわせて見ていきます。
2021年現在も続く軽自動車の「64馬力自主規制」
日本の登録車には、かつて「280馬力自主規制」が存在し、高性能車の最高出力が軒並み280馬力に設定される時代がありました。いまでは自主規制は廃止されていますが、どういった経緯で規制が始まったのでしょうか。
馬力に対する自主規制は、1980年代の国産各社による馬力競争を受けて始まったもので、2004年に発売されたホンダ4代目「レジェンド」まで継続されていました。
当時、エンジンのパワー向上と比例するように交通事故が増加傾向となり、政府が「交通事故非常事態」を宣言するほどに社会問題化します。
それを受け、当時の運輸省(現:国土交通省)が日本自動車工業会に申し入れをおこない、自動車メーカー各社が応じるかたちで「280馬力自主規制」がスタートしました。
その後、海外メーカーに対する日本車の商品力強化などを目的として自主規制が解禁され、前述の4代目レジェンド(登場時の最高出力:300馬力)が280馬力自主規制撤廃第一号の新型車として登場しました。
一方、軽自動車には「64馬力自主規制」が存在します。
こちらも運輸省の通達により実施されたもので、1987年に発売されたスズキ「アルトワークス」の最高出力64馬力が自主規制数値となります。
登録車の「280馬力自主規制」と異なり、軽自動車では2021年現在も自主規制が継続されていますが、これは軽自動車が日本独自規格で基本的に輸出されないことが理由のひとつといわれています。
それではここでクイズです。
登録車の馬力規制の発端となったといわれている、1989年に発売されたスポーツカーは次のうちどれでしょうか。
【1】日産「フェアレディZ」
【2】トヨタ「セリカ」
【3】三菱「GTO」
【4】ホンダ「インテグラ」
※ ※ ※
正解は【1】の「フェアレディZ」です。
1989年に登場した4代目フェアレディZ(Z32型)は、国産車初の最高出力280馬力を達成した3リッターV型6気筒ツインターボエンジンを搭載したグレードを設定。
販売期間が10年を超え、長期にわたり生産・販売されたことでも注目されました。
ちなみに、現行モデルの6代目フェアレディZ(Z34型)は3.7リッターV型6気筒エンジンを搭載。標準仕様で最高出力336馬力、NISMO仕様で355馬力を発揮します。
※クイズの出典元:くるまマイスター検定
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