技術の日産が本気出したらスゴいことに!? 8代目「U12型 ブルーバード」を振り返る
モータースポーツへの参画と豪州モデルの導入
SSSアテーサリミテッドと同時に、モータースポーツへの参画を果たすために、ニスモによって開発され、オーテックジャパンによって生産されたのが「SSS-R」です。
エンジンはSSSアテーサリミテッドのCA18DET型をベースに、専用のピストンやカムシャフト、ターボチャージャー、ステンレス製エキゾーストマニホールド、ブーストアップなどにより最高出力185馬力にチューンナップした「CA18DET-R型」を搭載。トランスミッションはクロスレシオの5速MTのみとなっています。
また、快適装備を排除して軽量化され、室内にはロールケージを標準装備したことで2名乗車(後期型では4名乗車)です。
外観は廉価グレードの加飾に近く、インタークーラーに導風するためにボンネットに取り付けられたエアスクープが控えめに高性能さをアピールしています。
オプションで大型の補助灯や、アンダーガード、タワーバーなどが装備できるなど、購入してすぐにでも競技に参加することも可能でした。
SSS-Rは主に国内のラリー選手権で活躍したことで、かつてサファリラリーで優勝して「ラリーの日産」と言わしめた510型 ダットサンブルーバードを彷彿とさせました。
その後、1989年のマイナーチェンジでは1.8リッターエンジンが「SR型」に換装され、上級グレードは2リッターとなり、SSSアテーサリミテッドの最高出力は205馬力に向上し、SSS-Rも同じく205馬力となります。
そしてもう1台、U12型で忘れてはならないのが、1991年に発売された「ブルーバード オーズィー」です。
日産は1976年にオーストラリアで現地生産を開始し、国内モデルをベースに現地のニーズに合った独自の車種も生産。そのなかのひとつがブルーバード オーズィーで、日本では輸入車として販売されました。
なお、「オーズィー」の車名は、「オーストラリアの、オーストラリア人」という意味を持つ「Aussie(オージー)」に由来。
ブルーバード オーズィーのボディはステーションワゴンタイプの5ドアハッチバック車で、外観はセダンと同様のフロントフェイスに、ロングルーフに大きく傾斜したリアハッチを備え、スタイリッシュなフォルムを実現しています。
また、前後にスポイラーを装備し、エンジンは日本向け専用に2リッター直列4気筒DOHCを搭載するなど、スポーティさを強調しています。なお、トランスミッションは4速ATのみです。
使い勝手も良いモデルのはずでしたが、ブルーバード自体のフルモデルチェンジもあって、わずか3か月ほどで販売を終了。期間限定の販売に留まり販売台数も少なく、いまではかなり貴重なクルマとなっています。
こうして、U12型ブルーバードは9代目のU13型にバトンタッチするかたちで、1991年に販売を終了。以降も高性能なモデルもラインナップされましたが、モータースポーツからはU12型をもって撤退し、1996年に登場した10代目のU14型をもって、2001年にブルーバードの歴史は幕を閉じました。
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かつて、日産の屋台骨を支えていたうちの1台だったブルーバードは生き残れませんでしたが、いまも数多くの愛好家がいます。
そしてオーナーズクラブもいくつもあり、印象的なのが世代別でクラブが分かれていることです。
たとえば初代の310型から、410型、510型、910型、U11型、U12型など、個別にオーナーズクラブが存在し、活動しています。
さらに日産車では、決して高性能なモデルや特別なモデルでなくても、「サニー」など普通の大衆車でもオーナーズクラブがあることが特徴で、日産の旧車系クラブは国内でもっとも多いといわれています。
U12は大好きで2台乗りました。初代は前期アテーサ、2台目は後期アテーサリミテッドでした。まずスタイルに惚れたのですが、アテーサの踏ん張り感は半端無かったです。欠点はHTボディの剛性の弱さ。タワーバーは必須でした。記事にHI-CASとSTC-SUS搭載とありましたが、U12にHI-CASは有りません。STC-SUSのみです。HI-CASは電子制御4WSですが、STC-SUSは慣性モーメントを利用した簡易4WSで4WD化による回頭性の悪化に対応した装備でした。