バブル時代のAMGは、なぜエンブレムが真っ黒? コワモテだった理由を探る
どうして初期のAMGはクロームパーツをブラックアウトしたのか?
創業当初のAMGは、あくまでもプライベートチューナーという立場であった。分かりやすく乱暴ないいかたをするなら、街のチューニング屋のオヤジがコンプリートカーを売っている、というのに近かった。
そこで黒いエンブレムの話に戻ろう。
スリーポインテッドスターをブラック・アウトした理由のひとつには、メルセデス・ベンツのクルマをベースとしているが、しかしメルセデス・ベンツではなくAMGである、というプライドもあっただろう。
そして、メルセデス・ベンツという完成されたクルマではなく、一介のプライベートチューナーが作っているのだから、スリーポインテッドスターやエンブレムは、ブラックアウトするのが礼儀である、という謙譲の想いもあったと思われる。
おそらくどちらの想いもあったはずだ。初期のAMGがエンブレムを黒く塗りつぶしていた理由は、このふたつが挙げられるだろう。
また、エンブレムだけでなくクロームパーツすべてをブラックアウトし、前後にオリジナルのスポイラーを装着、高速巡航用にセッティングしたサスペンションはローダウン効果もあり、クルマの塊感が増したスタイルは一世を風靡し、AMGの世界観を確立するに至った。
その後、1980年代後半から、正式にメルセデス・ベンツへの部品供給が始まり、1993年にはパートナーとして共同開発した初のモデル、「C36」をリリース。そして1999年にはメルセデス・ベンツの一部門となっている。
ベテランドライバーのなかには、「AMGのコンプリートカーはド派手な、下品なエアロパーツが付いていたな」と遠い目で(特にバブル時代の)記憶を探っている人もいるだろう。そのころのAMGはまだ、プライベートチューナーだった時代だ。
この時代には、ほかにも、「デボネアAMG」とか「ギャランAMG」というクルマもあった。それもまだ、プライベートチューナーだったときに、三菱自動車と業務提携をし、共同開発をおこなったものである。
デボネアAMGはエアロパーツやインテリアの変更にとどまっていたが、ギャランAMGは自然吸気の4G63型2リッター4気筒エンジンをベースに、中空構造のカムシャフトや冷間鍛造方式で製造されたチタン製リテーナーの採用、バルブステムのスリム化とポート径の拡大による吸排気効率アップ、触媒の抵抗低減など、AMGのテクノロジーが活かされた、専用エンジンを搭載。
21世紀となって20年が経ついま、ブラックエンブレム時代のAMGは、クラシックカーといっていいものとなっている。しかしそのころのAMGには、メルセデス・ベンツに組み込まれたいまとは違う、よくいえば野性味、悪くいうと粗削りな魅力が、確実にあったのは紛れもない事実である。
こうしたこともあり、2020年8月に開催されたRMサザビーズ社のオンライン限定オークションでは、1989年式メルセデス・ベンツ「560 SEC AMG 5.6 ワイドボディ」が、エスティメートを上回る約2700万円で落札されたほどだ。
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