30年前の車なのに今もカリスマ的人気 R32スカイラインGT-Rとは?
1989年8月21日に発売された8代目R32「スカイラインGT-R」(BNR32型)。同じ年に登場したZ32系「フェアレディZ」が北米で人気だったのに対し、R32GT-Rは国内専用モデルだったが、登場から30年経った現在、カリスマ的なスポーツカーとして日本だけでなく海外でも大人気で、中古市場では、程度の良い個体は当時の新車価格(445万円)よりも高い値段で取引されているという。そんなR32GT-Rはどんなクルマだったのか。
勝つことを宿命とする最強のスポーツモデル
日産「スカイライン」は、日本の風土に根ざした異色のスポーツセダンだ。
歴代のスカイラインのなかでもっとも魅力的なクルマは、と問われれば、多くの人は「ハコスカ」のニックネームで愛されている3代目のC10系スカイラインと、8代目のR32系スカイラインの名を挙げるだろう。
なかでも世界中のカーマニアをシビレさせたのがR32スカイラインGT-Rで、21世紀のいまでも評価はうなぎ上りである。30年前のモデルなのにもかかわらず、程度の良い中古車の価格は当時の新車価格の445万円とほとんど変わらない値段で取引されている個体もある。また海外でも人気で、北米のオークションでは1000万円超で落札されたケースもある。
R32スカイラインGT-Rとはどんなクルマだったのか、振り返ってみよう。
8代目R32スカイラインの開発は「RX」のコードネームを付けてスタートした。
1990年に、走りの性能において世界ナンバーワンを目指すという日産の「901」活動の象徴として開発され、開発主管の伊藤修令氏は新しい評価基準を作るとともに性能評価ドライバーの訓練もおこなっている。
基準車が性能目標の仮想ライバルとしたのは、メルセデス・ベンツ「190E 2.3-16」とBMW「M3」、そしてポルシェ「944ターボ」だ。担当エンジニアは世界一のスポーツカーをつくると意気込み、開発に没頭した。
1989年5月22日、8代目のスカイラインがベールを脱いだ。
先代R31系よりもボディをコンパクト化し、2リッター直列6気筒エンジンにも磨きをかけている。主役のGTS-tタイプMは、世界初のハイフローセラミック/ボールベアリングターボを採用したRB20DET型エンジンを搭載。低回転域のトルクはやや細いが、6500回転まで気持ちよく回り、ターボの過給によって冴えた加速を見せつけた。5速MTも小気味よく決まる。
サスペンションも進歩的だった。前後にダブルウイッシュボーンを進化させたマルチリンクを採用し、リアには位相反転制御のスーパーHICASを装備する。
新設計の電子制御パワーステアリングも鋭い切れ味だったから、シャープなハンドリングだったし、操る楽しさもまた格別だった。当時の日本車はブレーキの効きとコントロール性が弱点だったが、R32系スカイラインは止まる性能も一級だった。
だが、発表の席上でマスコミ関係者の視線を釘付けにしたのは、遅れて発売になる新世代のスカイラインGT-Rだった。
開発主管の伊藤修令氏は、最初からGT-Rを復活させようと思っていたし、出すからには最速のツーリングカーでなければならないと考えていた。当然、GT-Rは勝つことを宿命とする最強の戦士だから、レースで連戦連勝を飾らなければならない。だからエンジンはグループAレースのレギュレーションと照らし合わせて2.6リッターの排気量とし、これにセラミックタービン採用のターボを2基装着している。
10年程前まで乗っていました。
未だに魅力的で優れた車です、それから数台乗り換えましたが、速さはまだまだ一線級ですね。
走り出しがやや重く、速度が乗るにつれて軽くなっていく走行感覚は類をみないもので、巡航中の「芯を感じる」回転感覚も格別です。
反面、日産エンジン特有の官能性を感じない吹け上がりと高速からだと全く効かないブレーキには、当時の国産を感じました。
特にブレーキは問題で、街乗りでは普通に効きます(特に効く訳ではない)がローターが熱を持ったり、負担がかかると途端に滑り出す感覚は信頼に足らないものでした。
車重がありますのでそのせいでしょうが、あまりにお粗末だったことを、よく覚えています。