日産「MID4」はなぜ市販されなかったのか!? 幻に終わった和製スーパーカーを振り返る

市販化に向かって動き出したMID4 IIだったが……

 MID4の発表から2年後、1987年に開催された第27回 東京モーターショーの日産ブースに、大幅に進化した「MID4 II」が出展されました。

見た目もメカニズムも大きく進化した「MID4 II」
見た目もメカニズムも大きく進化した「MID4 II」

 MID4 IIの外観は、ややクラシカルだった先代から変貌し、未来感のあるフォルムとなっています。ボディサイズは全長4300mm×全幅1860mm×全高1200mmと、ひとまわり大きくなり、車重も1400kgと重くなっていますが、これは後述するエンジンの変更や補機類の追加によるものです。

 また、外観以上に変化したのがエンジンとシャシで、最高出力330馬力のV型6気筒DOHCツインターボエンジンの「VG30DETT型」を、リアミッドシップに縦置きに搭載。ラジエーターとふたつのインタークーラーをエンジンの横にレイアウトしたことで、ボティサイドにはエアインテークが開いています。

 5速MTのトランスミッションはエンジンの前方に配置され、駆動方式はビスカスカップリングとセンターデフを組み合わせたフルタイム4WDを踏襲。

 サスペンションはフロントにツインダンパー式のダブルウイッシュボーン、リアにはHICAS付きのマルチリンクを採用し、路面の追従性向上と運動性能が飛躍的にアップしています。

 ブレーキは4輪ベンチレーテッドディスクを採用し、タイヤサイズはフロントが235/55ZR16、リアが255/50ZR16の前後異径サイズです。

 内装もモダンになり、乗員を包み込むようにドアからコクピットまでラウンドするパネル形状となり、スイッチ類をメーターナセルに集中することで機能的に配置。

 再び東京モーターショーで話題をさらったMID4 IIは、展示されるより前にジャーナリスト向け試乗会がおこなわれ、高性能ながらじゃじゃ馬的な操縦性ではなく、スムーズに乗れるスーパースポーツと評されます。

 内外装の仕上がりはいつ市販化されてもおかしくないほどのクオリティで、実際に1985年頃から市販化に向けた検討が始まっており、MID4 IIは初期のプロトタイプという位置づけでした。

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 こうして市販化に向けて動き出したMID4は、開発と同時に生産についても綿密な検討がおこなわれ、1980年代の終わり頃には現実味をおびていました。

 しかし、さらなる検討の結果、市販化は中止という経営判断が下されます。

 その理由としては、当時、日本は好景気にわいていましたが、日産の財務状況は過剰な設備投資のため悪化し始めており、MID4の市販化による莫大な開発費用と工数の捻出は難しいということでした。

 バブル崩壊で開発中止となったクルマはいくつもありますが、MID4はバブルの真っ最中に中止となったということです。

 ファンの期待に反して市販には至らなかったものの、MID4の開発で確立した技術の多くは、フェアレディZやスカイラインGT-Rなどの市販車で生かされ、日の目を見ることになります。

 MID4とMID4 IIは、神奈川県座間市にある展示施設「日産ヘリテージコレクション」に保存されており、現在は新型コロナウイルス感染拡大の影響で見学を中止していますが、再開されれば実車を間近で見ることができます。

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