日産「MID4」はなぜ市販されなかったのか!? 幻に終わった和製スーパーカーを振り返る

日本が好景気に湧いていた1980年代の終わり、日産は日本初のスーパーカーを開発するプロジェクトを進めていました。しかし、そのプロジェクトは、バブル絶頂期には消滅してしまいます。そこで、幻となった日産「MID4」について振り返ります。

本格的な和製スーパーカーのデビュー

 日産は1980年代の中頃、『1990年までに走りにおいて世界一を狙う』というスローガンを掲げ、これを「901活動」と名付け、プロジェクトをスタートさせました。

やや古典的なスーパーカーのフォルムをまとって産声を上げた「MID4」
やや古典的なスーパーカーのフォルムをまとって産声を上げた「MID4」

 この901活動実現に向けて開発されたモデルが、日本市場をターゲットとした「R32型 スカイラインGT-R」、北米市場をターゲットとした「Z32型 フェアレディZ」、そして欧州市場をターゲットとしたのが「P10型 プリメーラ」です。

 この3台は、いまも語り継がれるほどの優れた性能とデザインによって、実際にヒット作になりました。

 一方で、これら3車種と並行するように、あるプロジェクトが日産社内で動いていました。それが本格的な和製スーパーカーである日産「MID4(ミッド・フォー)」の開発です。

 エンジンをリアミッドシップに搭載した4WDのスポーツカーを意味するMID4は、1980年代におこなわれていた研究開発の成果を、モーターショーの場で発表することも目的とした実験車両として製作されたコンセプトカーです。

 実際に1985年のフランクフルトモーターショー、そして第26回 東京モーターショーの日産ブースでお披露目され、来場者の目を釘付けにします。

 この東京モーターショーでは、日産だけでなく各メーカーも4輪操舵や4WD、DOHC4バルブエンジンなど、次世代の新技術を発表していましたが、日産はMID4だけでなく、後に市販された「Be-1」を展示するなど、話題が豊富でした。

 FRPでつくられたMID4のボディは、フェラーリ「512BB」をイメージさせるスーパーカーのフォルムで、高性能車では定番だったリトラクタブルヘッドライトを採用した「クサビ型」のシャープなデザインを採用。

 ボディサイズは全長4150mm×全幅1770mm×全高1200mmと当時としては大柄で、車重は1230kgと比較的軽量でした。

 エンジンはリアミッドシップに横置きに搭載された、最高出力230馬力を発揮する3リッターV型6気筒DOHC24バルブで、このエンジンは後の「VG30DE型」のプロトタイプです。

 駆動方式はセンターデフにビスカスカップリングを組み合わせたフルタイム4WDを採用。サスペンションは4輪ストラットの独立懸架とし、リアにはR31型 スカイラインに採用した後輪操舵機能「HICAS(ハイキャス)」を搭載することで、低中速域でのシャープなハンドリングと、高速域での安定性を両立していました。

 また、ブレーキは4輪ベンチレーテッドディスクとし、タイヤは205/60VR15と、いまでは小径ですが当時としては大径かつ低扁平率のスポーツカーらしい足まわりとなっています。

※ ※ ※

 こうして、センセーショナルなデビューを飾ったMID4は、東京モーターショーの話題を独り占めしましたが、2年後の第27回 東京モーターショーには、大きく進化したMID4が再び現れることになります。

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