GT-R以外もスゴかった!? 高性能な日産のターボ車3選
結果が残せなかった不遇の高性能モデルとは!?
●パルサーGTI-R
日産は1958年にオーストラリア1周1万6000kmを走破する「豪州ラリー」でのクラス優勝から始まり、世界ラリー選手権(以下WRC)ではサファリラリーなどで数々の勝利を重ねてきました。
そのWRCの出場において、最後のベース車両となったのが1990年に発売された「パルサーGTI-R」です。GTI-Rは4代目パルサーの高性能モデルとして、当初からWRCへの参戦を目的として開発されました。
エンジンは2リッター直列4気筒DOHCターボの「SR20DET型」を搭載し、最高出力は230馬力を発揮。トランスミッションは5速MTのみで、駆動方式はフルタイム4WDシステム「アテーサ」が採用されています。
外観ではボンネット上のインタークーラーへ走行風を導入するダクトと、巨大なリアルーフスポイラーを装備しているのが特徴で、迫力あるフォルムを演出。
ブルーバードに比べショートホイールベースのコンパクトな車体に、強力なエンジンを搭載しており、ラリーカーとして高いポテンシャルを秘めていましたが、主戦場であるグループAでのラリーでは、最高位が総合3位と結果を残せませんでした。
結局、参戦からわずか2年の1992年シーズンをもって日産はWRCから撤退を表明。5代目パルサーでは、GTI-Rに匹敵する高性能なターボエンジン車は設定されず、パルサー自体も5代目が国内市場で最後のモデルとなりました。
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日産は1980年代の終わりから1990年代初頭にかけて、5代目「シルビア」や、初代「プリメーラ」、初代「セフィーロ」など、ほかにも高性能かつヒット作を生み出しています。
また、初代「シーマ」にパイクカー3兄弟なども、この時期に出ていますので、本当に勢いがあったということでしょう。
しかし、バブル景気にわいていた頃にも関わらず、日産の財務状況はすでに悪化が始まっていたといいます。その後、日産の経営は立ち行かなくなり、1999年にルノーの傘下となりました。