これぞ王道のセダン! 1960年代を代表する名車セダン5選
最近のセダンはクーペに近いフォルムのモデルが多く、はたしてセダンなのかクーペなのか境界がはっきりしません。そこで、改めてセダンのあるべき姿を確認するため、1960年代に登場したセダンの王道をいくモデル5車種をピックアップして紹介します。
空力なんかどうでもいい! これぞ王道のセダン
近年、セダン人気の低迷により、国内ではセダンの販売台数が減っています。しかし、欧米ではファミリーカーとしても使われ、まだまだセダン人気は健在です。
いまどきのセダンは、流麗な外観のデザインが多く、まるでクーペのようなモデルが主流になりつつあります。
フロントウインドウやリアウインドウの傾斜が寝ており、それをつなぐ屋根の形状も緩やかなカーブを描いて、パッと見るとクーペと錯覚してしまいます。
一方、昔ながらのセダンというと、3つの箱をつなげたような四角いクルマでしたが、いま見るとむしろ新鮮に感じます。
そこで、1960年代に発売された「これぞセダン」というような国産モデル5車種をピックアップして紹介します。
●三菱「デボネア」
三菱「デボネア」は1964年に初代が発売された、三菱のフラッグシップセダンです。
デボネア最大の特徴は外観のデザインですが、同時期のアメリカ車をイメージさせつつも、日本の神社仏閣を思わせるような重厚な雰囲気があります。
大きなクルマに見えますが、実際のサイズは全長4670mm、全幅1690mmと5ナンバー枠に収まる寸法で、当初は2リッター直列4気筒エンジンを搭載(後に2.6リッターに変更)していたこともあり、5ナンバー車となっていました。
デボネアの直接のライバルはトヨタ「クラウン」や日産「セドリック/グロリア」などでしたが、販売面ではライバルに大きく引き離される状況で、成功したクルマとはいいがたいものでした。
しかし、1986年まで大きなモデルチェンジすることなく生産され「走るシーラカンス」とも呼ばれました。
生産終了後は、現代に蘇ったクラシックカーとして再評価され、中古車の人気も高くなったことがありましたが、販売台数が少なかったこともあり現存数は少なく、いまでは希少なクルマとなっています。
●トヨタ「クラウン」
日本が誇るセダンといえばトヨタ「クラウン」と言っても過言ではありません。現行モデルは2018年に発売された15代目で、初代から数えて64年もの長い歴史を刻んだクルマです。
今回紹介するのは1962年に発売された2代目で、デザインは前出の三菱「デボネア」と同様にアメリカ車を意識したものとなっていました。
初代から比べると大幅にボディサイズが拡大され、1クラス上のクルマに変貌しています。
2代目クラウンで最大のトピックスは、日本車初のV型8気筒エンジン(2.6リッター)を搭載した「クラウンエイト」がラインナップされたことです。
クラウンエイトはベースのクラウンに対しデザインに大きな変更を加えず、全長を4610mmから4720mmへ、全幅を1695mmから1845mmに拡大。ゆとりある室内空間を実現していました。
ただし、ホイールベースの延長は50mmにとどまり、この手法では後席の足元の空間は大きく変わらず、ショーファードリブンのクルマとしては、まだ考慮が足りていなかったようです。
なお、同じくショーファードリブンである「センチュリー」では、ホイールベースもしっかり延長されました。
●日産「グロリア」
1959年にプリンスから高級セダンの初代「グロリア」が発売され、1962年には2代目が登場し、1966年にプリンスは日産と合併します。
3代目となるグロリアは1967年発売で、日産とプリンスの合併後初の新型車として注目を浴びました。
実質的に開発はプリンスでおこなわれ、外観は同じくプリンスが開発した御料車「プリンスロイヤル」と同様な縦2連4灯式のフロントマスクが特徴で、後に「タテグロ」の愛称で親しまれました。
また、長く幅広く低重心の直線基調なボディは「ロイヤルライン」と呼ばれました。
エンジンは合併の過渡期だったこともあり、当初はプリンス設計の2リッター直列6気筒のG7型が搭載されましたが、1969年のマイナーチェンジで日産製のL20型に換装されます。
その後グロリアは、次の4代目以降ボディもセドリックと共通化されました。
●マツダ「ルーチェ」
1960年にマツダは初の乗用車「R360クーペ」を世に出し、その後「キャロル」「ファミリアセダン」を発売し、車種展開の拡大を着々と進めていきました。
そして1966年、マツダのフラッグシップに位置するクルマとして「ルーチェ」が発売されます。
曲線と直線を巧みに組み合わせた外観は、イタリアのデザイン工房「ベルトーネ」によるオリジナルデザインをもとに、マツダのデザイナーによる独自のテイストを加えたものでした。
ルーチェという名はイタリア語で「光」を意味し、その名にふさわしい流麗なフォルムとなっていました。
また、新設計されたエンジンは1.5リッター直列4気筒で、1.5リッターでは日本初のSOHCとなっていました。
さらに、当時の同クラスで唯一の6人乗りという広い室内を実現するなど、さまざまな点で先進性を誇っていました。
●日産「ブルーバード」
日産が誇る往年の大衆車といえば「サニー」と「ブルーバード」が代表格です。なかでも3代目ブルーバードは日産が本格的に世界進出するきっかけとなったモデルでした。
3代目ブルーバードの510型は、1967年に「ダットサン」ブランドで発売。
三角窓のないシャープなスタイリングやSOHCエンジン、4輪独立懸架のサスペンションなど、先進的なメカニズムがもたらす高い基本性能と実用性が大好評となります。
とくにボディ全体のフォルムは「スーパーソニックライン」と呼ばれ、高速時代を予見させるキャッチフレーズが付けられました。
また高性能版の「1600SSS」グレードがラインナップされ、1970年の第18回東アフリカ・サファリラリー総合優勝などモータースポーツの世界でも高い評価を獲得。
そして、アメリカにも本格的に輸出が開始され、日本では「ゴーイチマル」、アメリカでは「ファイブテン」と親しまれ、グローバルの販売累計台数は150万台以上を記録する大ヒットとなりました。
この3代目ブルーバードの成功もあって、後に「フェアレディZ」のアメリカ進出につながります。
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