昔は乗用車も…若者は知らない? トラックメーカー「いすゞ」の名車5選
いすゞが乗用車の生産を終了したのは平成初期の1993年。それから26年が経ちますが、今でも愛される懐かしのいすゞの名車を5車種ピックアップして振り返ります。
乗用車生産から撤退して26年、いすゞの名車5選
最近の若者では、CMでもお馴染みの「いすゞのトラック♪」というイメージからトラックだけを製造・販売しているメーカーと思っている人が多いかもしれません。
現在のいすゞは、国内ではバスとトラック、東南アジア向けにSUVを生産しているメーカーですが、26年前までは乗用車も生産を行っており、数々の名車を生み出しているのです。
独創的なデザインや先進性などを、今でも懐かしみ大切に乗られているクルマもあります。そんな、いすゞの特徴的なクルマのなかから5台を選んで紹介します。
●ベレットGTR
いすゞが1963年から1974年まで販売していた「ベレット」。「ベレG」と呼ばれる1964年に登場した「ベレットGT」(2ドアクーペモデル)は、日本初のディスクブレーキの採用や、前輪ダブルウィッシュボーン、後輪ダイアゴナルスイングアクスルの組み合わせによる、四輪独立懸架が生み出す路面追従性の良さを発揮。
また、ラックアンドピニオン式ステアリングギアボックスによる鋭いハンドリングを兼ね備え、高い運動性能を活かして国内レースでも活躍しました。「和製アルファロメオ」ともいわれています。
ベレットは、一度もフルモデルチェンジされなかったことから、キャビンスペースに入ると、当時の他社クーペに比べてもタイトな空間です。しかし、コンパクトなサイズながら美しいラインを持つボディはもちろん、運転席と助手席が近いこともあり「日本で最初のデートカー」と言う人もいるほどでした。
そんなベレGでしたが、1969年の「鈴鹿12時間耐久レース」で優勝した「ベレットGTX」の市販バージョンとして、117クーペ用のソレックスツインキャブを装着した1600cc4気筒DOHCエンジンを搭載した「ベレットGTR」(最終型の名称は「ベレットGT typeR」)を発売します。
最高速度190km/hのスペックだけでなく、強化されたサスペンションやブレーキブースターの装備、黒とオレンジが特徴的なボディカラーやフロントのバンパーを分割した間にセットされた補助灯など、いすゞの以降のスポーティモデルが「硬派」と呼ばれるようになる第一歩を歩み出しました。
●117クーペXG/XE
1968年から1981年まで販売していた「117クーペ」は、当時のいすゞが1967年から販売していたセダン「フローリアン」のコンポーネンツを流用したクーペモデルとして誕生した「高級パーソナルクーペ」となります。
エンジンも当時は数少ないDOHCヘッドを持つ1.6リッター。その美しいボディスタイルはイタリアの自動車デザインスタジオである「カロッツェリア・ギア」によるもので、チーフデザイナーは多くのスーパーカーを手掛けたジョルジェット・ジウジアーロです。
1966年のジュネーヴショーではプロトタイプがコンクール・デレガンスを受賞。「国際自動車デザイン・ビエンナーレ」では名誉大賞を獲得しています。
台湾楠のウッドパネルなどの上質なインテリアや、そのボディの流麗さを損なわないためにジウジアーロ自身が市販車向けデザインをしたものです。
通常の生産ラインでは対応ができず、手作業で製造を行っていたことから、この初期モデルはのちに「ハンドメイド」と呼ばれましたが、同時に1970年にはボッシュ製の電子制御インジェクションを日本で初めて搭載するなどの先進性も合わせ持っていました。
1973年にはコストダウンに合わせた量産化が可能となり、法改正に適合した第2世代にチェンジされ、140馬力を発生するSUツインキャブレターを備えたDOHCエンジンの「XG」は、排ガス規制への対応ができずに1975年に姿を消します。
トップグレードの「XE」は最高出力を130馬力に抑えながら販売は継続されました。
1977年のマイナーチェンジでヘッドライトが丸型4灯から角型4灯に変更となり、XEと同じ電子制御インジェクションとすることでXGが復活しました。4輪ディスクブレーキやLSD、減衰力可変ショックアブソーバーなどを標準で装備するスポーツクーペとして復活し、第3世代の「117クーペ」を代表するグレードになっています。
1978年には排気量を2リッターに拡大していますが、当時のDOHCエンジン車でATを選べたことや、本来の「117クーペ」の持ち味であるエレガントさを求める層には高価なXEが人気で、1981年に「ピアッツァ」がデビューするまで販売し続けました。