トヨタが「ミッレミリア」初参戦!「クルマを文化に」本場で学んだ歴史と情熱とは
TOYOTA Racingがル・マン24時間耐久レースで勝利を飾った同じ週、イタリアでは世界一美しいラリー「ミッレミリア」が開催されました。2026年、トヨタは日本のメーカーとして初参戦。「クルマを文化に」という豊田章男会長の想いのもと、本場のカルチャーに挑んだ熱き1600kmを現地からレポートします。
ル・マンの裏で選んだ学びの舞台
TOYOTA Racingが世界三大レースの一つ「ル・マン24時間耐久レース」に挑み、劇的な勝利を飾ったまさにその同じ週、アルプスの南側にあるイタリアの地では、モータースポーツのもう一つの“原点”とも言える静かで華やかなイベントが開催されていました。それが世界で最も美しいヒストリックカーラリー「ミッレミリア」です。
7月19日、NHKで「インサイド トヨタ」という番組が放送されました。次期カローラ開発をベースに、今のトヨタのクルマづくりと、トヨタの危機感、そしてトヨタの白い巨塔感の良い所と悪い所、そしてマスタードライバー・モリゾウのお仕事の話が、「静」と「動」で分けられ上手くまとめられて伝えられていたと思います。
商品化決定会議のやり取りなど、「そこまで潜入したのね」というこれまでの密着番組とは違う“驚き”がありましたが、個人的には1企業の話ではあるものの「日本頑張れ!!」というエールに聞こえました。
このように、もっといいクルマづくりは未来に向けて技術面は様々な改革が進められていますが、そうではない部分に関してはどうでしょうか。 日本自動車会議所の会長でもある豊田章男氏は、就任時に「クルマを日本の産業にとどめず、文化にしていきたい」と決意を語りました。

日本車も半世紀以上の歴史を重ね、技術や信頼性では世界トップレベルに駆け上がりましたが、「歴史あるクルマを資産・文化として愛でる」という部分においては、欧米の深いカルチャーと比べるとまだまだ発展途上であることは否めません。
とは言うものの、ただ指をくわえてその差を見つめているわけではありません。いま日本が取り組むべきことは、「クルマ文化を形成している本場・お手本から愚直に学ぶこと」です。ル・マンでの熱戦の裏側で、トヨタが選んだもう一つの学びの舞台こそ、このイタリアの「ミッレミリア」でした。
ミッレミリアとは、クルマ好きなら一度は耳にしたことがあるキーワードでしょう。イタリア語で「1000マイル(約1600km)」を意味します。1927年に始まったこのレースは、当初この距離の一般道を全開で走行するガチンコレースでしたが、1957年に観客を巻き込む大事故が発生。
それ以降はタイムの正確性を競うラリー形式へと形を変えましたが、公道を駆け抜ける熱狂と名残は今も色濃く残っています。現在は「当時出場した車か、同型の車のみが参加できる」世界最高峰のヒストリックラリーとして受け継がれています。
そして2026年、このイベントにトヨタが日本の自動車メーカーとして史上初めて参戦を果たしました。このプロジェクトの原点は、リアルドライビングシミュレーター「グランツーリスモ」のプロデューサーである山内一典氏がドライバーとしてミッレミリアを走った体験と、ミッレミリアのCOOであるフランチェスカ氏との出会いにありました。山内氏は当時のことを振り返ります。
「最初にミッレミリアに参加したのは2017年だったと思います。メルセデス・ベンツさんからお誘いをいただいて300SLで走りました。その2年後、2019年にはアルファロメオからお誘いがあってここに来ましたが、そこでCOOのフランチェスカさんに出会いました。そこから『日本車を走らせる』という企画を温めていたんです。『グランツーリスモの枠を活用すれば、1957年以降のクルマも走らせられるよね』と。そこで今回、トヨタさんがサポートしてくださったことで、実現することができました」
このプロジェクトのトヨタ側の責任者は清水竜太郎氏。氏は16代目クラウンのチーフエンジニアであり、現在はセンチュリーシリーズのチーフエンジニアを担当しています。
「クラウンは今『16代目』で、まさに『70周年』という大きな節目を迎えました。歴史はありますが、残念ながら海外ではなかなかブランドが知られていません。豊田章男会長が言う『クルマを文化に』という想いのもと、まずは自分たちが『本物のクルマ文化』を学ぼうと考えました。加えて、『クラウンって何だろう?』と海外の人に知ってもらうキッカケにしたい、というのがこの参戦の大きな発想の原点です」
今回の挑戦には、もう一つ重要な「人材育成」というテーマが込められていました。これには実際に豊田氏から明確な指示があったと言います。
「本来こういう古いクルマだと、経験豊富なベテランが行って何事もなく無難にやり過ごすのが簡単です。けれどせっかくだから、これからのトヨタを背負っていく若手を連れて行きなさい」
つまり、単に無難な完走を目指すイベントにするのではなく、将来のトヨタのクルマ作りの中核を担う世代に本物の経験を積ませることこそが最大の目的でした。
ドライバーの竹原憲吾氏(車両総合評価部署)や、コドライバーの徳田氏(操縦安定性・クラウン開発担当)をはじめ、運動性能やパワートレイン開発から選ばれた若手たちが抜擢されました。異国の地でクラシックカーを自分たちの手で走らせ、アクシデントが起きても現場の知恵とチームワークで乗り越える。この極限状態での体験こそが、若手にとって何よりの成長の糧になると考えたのでしょう。
今回トヨタがミッレミリアに持ち込んだモデルは5台。いずれもトヨタのモータースポーツ史を語る上で欠かすことのできない「原点」と「挑戦」を象徴するモデルです。
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初代クラウン:1957年に「オーストラリア横断ラリー」に参戦し、トヨタとして初めて海外モータースポーツの第一歩を踏み出した歴史的原点。
トヨタ2000GT:当時トヨタが持つ技術力を結集して開発されたフラッグシップスポーツで、スピードトライアルでの世界記録樹立や富士24時間耐久レースで勝利。(WRC TGR-WRTチーム代表のヤリ-マティ・ラトバラ氏もステアリングを握る)
トヨタスポーツ800(ヨタハチ):2000GTとは対照的に、大衆車(パブリカ)をベースに開発された軽量スポーツ。大パワーに頼らず、知恵と技術と効率で勝負する日本車らしい1台(1966年鈴鹿500kmでの無給油ワンツーフィニッシュなど)。
スープラ(A80系):トヨタがニュルブルクリンクで初めて開発したモデルで、制御やデバイスに頼らず“基本素性”に徹底的にこだわったJDMの象徴。豊田氏もこのクルマで運転訓練を行なっている。
レクサス LFA:ニュル24時間レースへの挑戦を通じて開発されたモデルで、トヨタ/レクサスの「味づくり」や技術革新の象徴となったプレミアムスーパースポーツ。
いずれのモデルにも、豊田氏の言う「モータースポーツを起点としたもっといいクルマづくり」のDNAが色濃く受け継がれています。
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長年グランツーリスモを通じて世界にクルマ文化を発信してきた山内氏は、JDM(日本市場向けスポーツカー文化)、そしてミッレミリアの関係性をこう語ります。
「グランツーリスモには、ありとあらゆる『クルマ文化』が入っています。ペブルビーチのクルマ、ミッレミリアのクルマはある世界を形成していますが、それもグランツーリスモの一部です。10代後半から60代までファンがいらっしゃって、関心を持っている所が全然違います。古くからのモータースポーツもあれば、ストリートの世界、そしてJDMもあります。ちなみにJDMのキッカケはグランツーリスモなんです。僕らがJDMを世界に発信してきたという感覚はあり、日本車がここまでスポーツカーカルチャーの中で存在感を見せることに30年かけて到達したわけですから、やっぱり嬉しいですよね」
イベントに参加するための車両調達や車体番号(マッチングナンバー)の確認においても、大きな学びと発見がありました。今回集められた5台は、世界各地にあるトヨタのコレクションを横断して手配されました。
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初代クラウン:愛知県蒲郡市にあるトヨタの研修施設「KIZUNA(キズナ)」に置かれ、かつて新入役員研修などに使われていた1959年製(1900cc)車両を走行可能へレストア。
トヨタ2000GT/トヨタスポーツ800:日本の「トヨタ博物館」に大切に動態保存されていた至高のヘリテージコレクションから直接搬出。
スープラ(A80系):欧州拠点である「TME(Toyota Motor Europe / ベルギー)」に保管されていた車両。
レクサス LFA:イギリスにある「Lexus UK(エプソム・グレートバー拠点)」の広報・動態保存車両。
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当初、初代クラウンは1957年にオーストラリア横断ラリーを走ったモデルと同じ「1950年代初期型(1500cc)」で挑もうとしましたが、現地で要求されたのは厳しい「本物」の証明でした。清水氏はこう語ります。
「ミッレミリアの認証(FIVA認定)を得るためには、車体番号とエンジンナンバーが一致する『マッチングナンバー(血統書)』が不可欠です。それが合ってて初めて『本物』と認められる。ヨーロッパの人たちはそういう『血統書』をすごく大事にしているんです。日本はそこまで大切にできてこなかった。日本はチューニング文化がすごいので『オリジナルがダメなら違うエンジンを載せて』となり、番号が一致しない。それはそれで日本のクルマ文化ですが、古いものをどう原型通り大切にしていくかというヨーロッパの思想は、やっぱりこのイベントの醍醐味であり、僕たちが学ぶべき点でした」
車両だけでなくチームウェアにも強いこだわりがありました。メンバーが着るポロシャツや車両のステッカーにあしらわれた緑色は、トヨタの「安全」と「よい品よい考」を象徴する伝統色「常盤色(ときわいろ)」です。
清水氏は「最初は何となく『緑がいいね』と思って作りました。その後会長と話をすると『それ、常盤色だよ』と。実は偶然だったんですけど、結果的にトヨタの安全とクルマへの願いを象徴する最高の“お守り”になりました!」と教えてくれました。
ちなみに5台の車両には、トヨタグループが創建した「交通安全」のお寺である蓼科山・聖光寺(長野県)のお守りとステッカーが授与され、過酷な旅路を見守っていました。
ミッレミリアは現在ヒストリックラリーとして受け継がれていますが、山内氏は現地で走ることのリアリティを明かしてくれました。
「ヨーロッパの人たちが伝統を守りながらも新しいことにチャレンジしていく思いは、ル・マンもミッレミリアもペブルビーチもみんな一緒です。そこの掛け橋になれればと思っています。そんなミッレミリアですが、実は世界一危険なレースだと僕は思っています。一般的にはタイムラリーと言われていますが、実際は…封鎖されていない一般公道で行われるため、当然他の一般車も対向車もいます。そこで先を急ぐわけですから、対向車線(追い越し車線)も走ります。対向車が来ると避け、いなくなったらまた対向車線に出て全開…を1600km繰り返す。ただ、これは違法ではなく許可されています。当然、緊張感は非常に高くニュル24時間レース以上にピリピリしますよ。あのニュルを走るドイツ人が『危ないから、ドイツではこんなレースはできない』と言うくらいです」

実際に参加してどうだったのでしょうか。筆者はその後ル・マン24時間の取材へと向かったため、序盤のみの現地取材となりましたが、全行程を取材したトヨタイムズの映像には感動的なストーリーが収められていました。
事前に入念な整備とテスト走行を行なって挑んだ初代クラウンですが、現地の30度を超える猛暑や激しい峠道でトラブルに見舞われます。これを支えたのは、日本から帯同した古いクルマのレストアのプロであるメカニックたちでした。「単なる工業製品ではなく文化遺産として受け止めるヨーロッパの姿勢から学びたい」と語る彼らが、夜を徹して整備を続けました。
3日目には世界で最も美しいと言われるシエナの「カンポ広場」を抜け、現地の大観衆の熱気に涙が出るほどの感動を覚える場面も。しかし最終日、初代クラウンはついに1気筒が死んでしまい「3気筒」状態に陥ります。それでも満身創痍のなか、5台揃ってブレシアのゴールへ辿り着いたのです。
初代クラウンのドライバーを務めた竹原氏は「本当に完走できるのかなという不安もあったんですけど、こうして完走できたことを本当に嬉しく思っています。4気筒のエンジンのはずなんですけど、今日はもう3気筒で走り抜けたので。沿道の方たちの応援もどんどん強くなって、励みになりました!」と達成感を語りました。
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清水氏は次のように総括します。
「この文化を肌で触れられたので、車作りに繋げていきたいですね。ミッレミリアは来年(2027年)に100周年を迎えます。その文化軸も含めて、やっぱり『100年後も同じように愛してもらえるようなクルマ』を開発できるようにできたらいいなと思います」
ル・マンでの熱い勝利の陰で進められていたイタリアでの静かで華やかな挑戦。豊田氏の「クルマを日本の文化に」という想いのもと、本場のカルチャーを肌で「学ぶ」ために挑んだ1600kmは、日本の自動車産業が次の100年へ向かうための大きな一歩になったらいいなと思っています。
今回のトヨタのミッレミリア参戦は「クラウン70周年」がキッカケでしたが、トヨタにはもう1台“節目”のクルマがあります。それは2026年に60周年を迎えた「カローラ」です。来年(2027年)、ミッレミリア100周年の舞台ではどうなるのか、期待せずにはいられません。
Writer: 山本シンヤ
自動車メーカー商品企画、チューニングメーカー開発を経て、自動車メディアの世界に転職。2013年に独立し、「造り手」と「使い手」の両方の想いを伝えるために「自動車研究家」を名乗って活動中。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。













