トヨタ初代「クラウン」誕生秘話 日本人の手で国産初の高級車という夢…
2018年6月26日、トヨタ「クラウン」が15代目にフルモデルチェンジされました。クラウンと言えば、トヨタが誇る高級セダンであり、日本における高級車の代名詞とも言えるクルマです。そんな名車・クラウンの初代はどんなクルマだったのでしょうか?
日本の道を走っても、乗り心地のいいクルマを
1955年に初代が発売されたトヨタ・クラウンは、現在販売されているモデルで14代目、そして6月26日に発売されたモデルが15代目となります。60年以上にわたってその名が受け継がれている名車のはじまりはどんなクルマだったのでしょうか。
初代クラウンの開発がはじまった1950年代前半は、高度経済成長時代の入り口に差し掛かり、さまざまな産業が急成長をし、自動車産業はその筆頭格でした。いまでこそ日本は世界で最も道路環境が整備されている国のひとつですが、当時の道路舗装率はわずか1%程度であり、とても快適に走れるような道ではありませんでした。
クルマの質も、欧米の自動車メーカーの方が優れており、日産はイギリスのオースチンと日野はフランスのルノーといったように、国産自動車メーカーは海外の自動車メーカーと提携し、日本で海外の提携先が開発したクルマの生産を行いました。要するに、技術力の弱い当時の国産自動車メーカーは、海外の自動車メーカーから設計図をもらって性能の良いクルマの生産をしたのです。
しかし、トヨタは、実質的な創業者である二代目社長の豊田喜一郎氏が掲げた「日本人の手で国産車を作る」という夢を追うべく、自分たちの力で開発を続けました。
そして1955年1月、「日本の道路を走っても、乗り心地のいいクルマを開発する」というコンセプトで開発された初代クラウンが発売されます。開発をリードしたのは、豊田喜一郎氏に憧れてトヨタへと転職した中村健也氏でした。